細田博之先生には11月10日に79歳でご逝去になりました。細田先生は東京大学卒業後に通産省勤務を経て昭和61年に運輸大臣などを務めた父の細田吉蔵衆議院議員の秘書となり、平成2年2月の総選挙に島根全県区から立候補し、77,099票を得て当選(3位)、以後、令和3年10月の総選挙まで連続11回の当選を重ね、平成14年に小泉内閣の沖縄・北方対策および科学技術政策担当大臣に就任したのを皮切りに内閣官房長官、自民党国会対策委員長、幹事長、総務会長など、自民党や内閣の枢要な役職を歴任し、平成26年からは最大派閥である清和政策研究会の領袖として安倍内閣を支え、令和3年11月に第78代衆議院議長に選出されました。小生は、県議会議員に就任直後の平成15年11月の総選挙で平田市が島根第1選挙区に編入されたことに伴い、令和3年10月の総選挙まで7回の選挙をともにし、党務や政務の交わりを重ねてきました。先生は、離島や中山間地域の振興やエネルギー政策に明るく、過疎地域自立促進特別措置法や離島振興法、国境離島特措法、森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律および人口急減地域特定地域づくり推進法などの議員立法を主導するなど、『課題を法律の制定で解決する』という国政の王道を歩んだ唯一無二の政治家と言っても過言ではなく、島根県にとって先生の逝去は計り知れないほどの大きな損失で痛惜の極みです。一昨年2月に最愛の洋(ひろ)夫人に先立たれてからは単身の生活で、それ故に議長の激務が寿命を縮めたとも考えますが、永年のご高誼に感謝を申し上げ、心からご冥福をお祈りいたします。