7月9日、出雲市大社町のうらら館で6月11日に89歳で亡くなった青木幹雄先生のお別れの会が行われました。活発な梅雨前線の活動で大雨警報の発令中でしたが、午後1時30分からの式典には、千家尊祐出雲大社宮司や北島建孝出雲国造をはじめ島根、鳥取両県の知事や国会議員など300人が参列しました。初めに、細田重雄自民党島根県連会長が「県議会の当選同期(昭和42年)の青木、浅野、森山、島田、細田の5人で島根県の政治をけん引したという自負があり、中でも、青木先生は決断力と実行力に長け、ふるさと島根のために尽くした傑出した政治家だった」と式辞を述べ、参列者を代表して、細田博之衆議院議長が「小渕首相の急逝の際、国政の停滞なく政権引き継ぎを果たした功績は政治史に残るものであり、引退後、出雲大社の平成の大遷宮にあたる姿に言行一致の青木さんの生き方を見た」、小渕優子衆議院議員が「親代わりの師を失って悲しみが募るが、政治の途の歩みを進める」などと弔辞を述べました。式典の最後に遺族を代表して青木一彦参議院議員が「義理と人情で70年余を政治の世界で全うした父の一生は政治家冥利に尽きるもので、県民の皆様に心から感謝を申し上げる」と謝辞を述べ、茂木敏充自民党幹事長や加藤勝信厚生労働大臣、西村康稔経済産業大臣など、式典の参列者が順次、祭壇に掲げられた遺影に玉串をささげた後、親交のあった政治関係者や地元の住民など約1,500人の一般参列者が玉串拝礼を行ない、青木先生の遺徳を偲びました。