『易経坤為地』に「積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃。臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故。其所由來者漸矣。由辯之不早辯也。易曰、履霜堅冰至。蓋言順也。」とあります。その意味するところは、「善行を積み重ねた家には、その報いとしてきっと幸福が子孫にまで及び、反対に不善を積み重ねた家には、きっと災禍が子孫にまで降りかかるものである。臣下が自分の君主を殺したり、子が自分の親を殺したりするような痛ましい事件は、一朝一夕の短い期間で起こりうる性質のものではない。霜を踏んで歩く季節を経ると、やがて氷の張る季節が来るように、物事の兆候が現れれば、大事が間もなくやってくる。それは、早い段階にその事態を理解し、適切な措置を施さなかった結果なのである。」とするものです。
多くの場合は、前半の「積善の家には必ず餘慶あり」のくだりが引用され、「善行を続けると子々孫々まで幸いがある」と説かれますが、為政者や指導者に必要なことは『物事の兆候を見逃さずに、適切な準備を怠らない』ということで、少子高齢化や食料、エネルギーの自給、医療・年金の肥大化など、いま生じている問題のほとんどは永年に亘って積み重なった『アカの集積』であり、目先の利益や有権者の歓心を得るがための所作を優先させた結果であることは紛れもない事実です。
敗戦後の日本を復興させてきた先人の善行、努力が日本の繁栄となったことに思いをいたし、足許をしっかりと見据え、仮に一時の批判を受けるとしても、国家の大計を示す憲法の見直しをはじめ教育、福祉、医療の改革や持続可能な農林水産業の構築などに対してしっかりとした政見を述べ、次代を見据えた意見具申をすることが必要であり、自らは齢六十六を重ねた政治家の役割を果たす年にしたいと考える年初です。