島根県の政界に大きな足跡を遺された第52代島根県議会議長の浅野俊雄先生には10月26日急逝されました。浅野先生は松江市の農業委員(公選)、市議会議員を経て昭和42年に県議会議員に初当選以降、県都で11回連続トップ当選と言う『途轍もない選挙記録』を樹立し、平成31年4月の引退まで当選13回、議員歴は51年におよびます。自民党島根県連の幹事長を7期12年お務めになり、青木幹雄先生と同期と言うこともあって、永田町の自民党本部を拠点に全国の地方議員に呼び掛け、指定湖沼の水質対策やコメの価格維持、飼料米の導入、転作支援の制度要求などに大きな力を発揮されました。ある議員研修会で、「ハクビシンガ フリーゲージデ トレンガ モンダイダ」と発言され、「ハクビシンが出没し、大きな箱ワナを準備したものの捕獲できず、大きな問題になっている」と野生鳥獣の問題を提起されたと解釈したところ、「伯備線のフリーゲージトレイン計画が行き詰っている」という意味だとのことで、大爆笑になったことがあります。独特の話調、いわゆる『浅野語』を駆使した県議会での発言は、中海の浚渫・浄化や特別支援学校の充実、高校理数科の創設、食の縁結び甲子園の開催まで特定のジャンルはなく、黒い手帳から繰り出される提案は縦横無尽なものでした。近年は、「島根県は年寄りが多いから年寄り目線で政治を語る」として、『自動車のフェンダーミラーの必要性』を説き、『血液浄化に効能アリとしてエゴマや桑茶の生産』を奨励されていたのをつい昨日のように感じます。烏骨鶏の世話や自ら明日葉を栽培するなど人一倍、健康に留意され、生涯現役を貫き、まさに『ピンピンコロリ』で駆け抜けた浅野先生の91才の人生は『お見事』と言うほかはありません。ここに、浅野俊雄先生のご冥福をお祈り申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。合掌。