山陰の古刹である鰐淵寺の紅葉は谷あいからの冷たい風の影響で、標高の低い山門から本堂へと進みます。まもなく巡り来る界隈随一の風情を見ることもなく、十月十五日、荒木國夫さんは七十八才で不帰の人となられました。
 県議会議員の議員徽章はネジ式で、ネジ受け金具で背広の左襟にあるフラワーホールに留めますが、永年にわたって小生のネジ受け金具の役割を担っていただいてきた、かけがえのない幕賓を失ったことは筆舌に尽くし難いものがあります。
 荒木さんを一口で評すると、「聡明・知略の人」で、日本一の石膏鉱山であった昭和鉱業㈱鰐淵鉱業所に勤務された青年期には労働運動で、鉱山閉山後の壮年期には系列会社の辣腕営業マンとして、MBO(Management Buy Out)で独立し、総合建設業のオーナー経営者となった熟年期、いずれの時代にも気配りとユーモアで周囲を自分が思い描いた軌道に導く、類い稀な能力をお持ちでした。
 お酒が入ると陽気に騒ぎ、喜怒哀楽を露わにし、一夜明けた刹那、引き出し一杯の豊富な教養に裏打ちされた冷静沈着な指摘の落差に時には戸惑いながらも、それが大きな魅力として人に受け入れられ、いつも廻りに人垣をつくっていたように感じます。
 小生との交わりは、奥宇賀神社の獅子舞が中学生、帰郷後の少年剣道が二十代半ばでしたから、お付き合いは半世紀になりますが、平成十四年の暮れ、「お前さん、県議に出ナハイ・エノチガケで応援シーケン」のお声掛けをいただいて以降、一貫して、親・兄弟に匹敵するほどに、いのちを削って小生をお支えいただいてきました。
 今年の年明けにご長男の克之さんに会社の経営を引き継ぐとの挨拶をされて以降、病気療養に専心されておりましたが、コロナ禍での面会・外出の制限など一連の感染防止対策の徹底が、見舞いの機会を阻み、暇乞いを交わすことすらできなかったことが悔やまれてなりませんが、温和で安らかな永眠の顔に接し、救われた思いがしています。
 最後に、病気療養をお支えいただいた陽子夫人を心からお労い申し上げますとともに、どうか、天上から会社やご家族の平安をお守りいただきたいと願っています。
 ここに、永年に亘るご高誼に満腔の感謝をささげ、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。