茶の間の床脇に吊るされていた紅白と金糸の手毬は、38年前に妻が義母から結婚時に渡されたもので、わが子の末永い幸福を願って手作りしたものです。義母は昭和5年12月生まれで、旧制の高等女学校に学んだ後、3世代の10人が暮らす農家に嫁ぎ、農業に従事する一方で、祖母、祖父、父、母を看取り、5人の兄弟を送り出し、4人のわが子を育てました。平成初年、脳疾患で倒れた義父のリハビリを大きな笑い声で支え、孫が交通事故死した際は義兄夫婦を優しく見守った姿は、「昭和生まれのスーパーウーマン」と呼ぶに相応しいものです。10年ほど前から膝関節を毀し、歩行には杖が必要でしたが、つい先日まで、小さな座布団に座って畑や庭で草取りをし、茶の間で写経する、まさに「晴耕雨読」の毎日で、日焼けした皺くちゃ顔の小さな目はいつも笑みをたたえていました。2年ほど前からディサービスでの外出を楽しみにする生活でしたが、お彼岸明けに体調を崩して一時的に医療機関に入院したものの、退院後は訪問医療、看護、介護のスタッフの皆さんの支援で自宅で過ごし、11月6日の夜、家族、子、孫たちに囲まれて静かに満89歳の生涯を終えました。義母が自宅で臨終を迎えることができたことは、ひとえに義兄の妻の献身的な働きによるものですが、家族に尽くした義母には最高の親孝行と感謝しており、わが妻は「ありがとう」の言葉を添えて、棺内に眠る義母の枕元にそっと手毬をおきました。合掌