島根県議会の第63代議長をお務めになった飯塚普彬先生には821日午前に逝去されました。82歳でした。飯塚先生は昭和10年7月に大社町入南に生まれ早稲田大学政治経済学部を卒業後に叔父の経営する平田町の飯塚米穀店に養子として迎えられ、専務、社長として社業の進展に尽くされました。実兄が竹下登先生の初当選時の秘書をお務めになっていたこともあって竹下先生との関りが深く、大学時代は娘さんたちの家庭教師を務められたと聞いています。青年会議所やPTA、消防団などの活動を通じて衆望が集まり、昭和58年4月に島根県議会議員に初当選し、平成8年3月に副議長、平成11年5月に議長に就任されるなど、5期20年に亘って県政に貢献されました。小生の祖母と先生の母親が姉妹との縁があり、妻との結婚に際しては仲人をお願いするなど、親しくお付き合いをいただいてきました。人の話をじっくりと聞き、問題点を整理して、的確にアドバイスをされる飯塚先生の周りにはたくさんの若い人達が集まりましたが、政治を語るときには、常に「覇道は一時の栄華であって、王道は究極の成果を為す」と人を貶めることを窘め、「地方自治は空気のようにごく自然の存在でなければならん」と、居丈高にならず、あくまで実直にとの強い信念を伝えられていました。つい先日までお元気であっただけに、急逝は信じ難いところではありますが、今日までのご高誼に感謝を申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。