前妙心寺派宗務総長の松井総益師が結婚披露宴の祝辞で、『荘子』内篇の最終章である応帝王篇から「渾沌(こんとん)、七竅(しきちょう)に死す」という、荘子の思想を総括した寓話を話されました。

「南海の帝を鯈(シュク)と為(ヨ)び、北海の帝を忽(コツ)と為び、中央の帝を渾沌(コントン)と為ぶ。鯈と忽と、ある時相与(アイトモ)に混沌の地に遇(メグ)りあえり。混沌のこれを侍(モテナス)すこと甚だ善(ヨ)し。鯈と忽と、混沌の徳に報(ムク)いんことを謀(ハカ)りて曰く、《人は皆七つの竅(アナ)有りて、以って視、聴き、食らい、息するに、(混沌は)此れ独(ヒト)り有ることなし。試みに之を穿(ウガ)たん》と。日ごとに一つの竅を穿ちしが、七日にして混沌死せり。」

この寓話の一般的な解釈は、「自分たちが良かれと思ってやっていることが、時として、他人に大きな迷惑となり、命の芽を摘むことさえある」と言うものですが、人類が地球上に誕生して以来、営々として築き上げてきた文明、例えば、機械文明について、私たちはそれを「進歩」とし、自らの生命に穴を掘り、分解し続け、今やそれが地球そのものを破壊しかねない自殺行為になっている様や、住民福祉のためとして国や自治体が際限の無い債務を負って、子孫に莫大なツケを押し付け、国や自治体の財政を破綻、崩壊させかねない事態に立ち至っていること等々、荘子の寓話の奥深さには思うところがありました。