国の史跡である荒神谷遺跡で、最初に銅剣が発見されたのは、昭和59年7月12日です。最終的に銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土し、「古代出雲は実体の分からない神話の国」という評価が覆され、12年後の加茂岩倉遺跡の発見により、「古代出雲には巨大な勢力が存在した」との定説が確立される「世紀の大発見」となりました。『出雲国風土記』に出雲郡の神名火山と記されている仏経山の北東3kmに位置する神庭西谷(かんばにしたに)一帯の約27.5㌶は荒神谷史跡公園として整備され、遺跡に隣接した荒神谷博物館では、謎に包まれた荒神谷遺跡やその出土品について、パネルや映像などで詳しく学習することができます。博物館の周りには、約5万株の古代ハスの花が咲くハス池やキャンプ場なども整備されています。銅剣の発見から30年となる7月12日には、午前10時から荒神谷博物館で、溝口知事などが出席して「国宝荒神谷青銅器出土30周年記念式典」が開催されました。長岡出雲市長は「古代出雲発祥の地とも言えるこの地を大切に次代に引き継ぐのが私たちの役割」と挨拶し、藤岡大拙館長は「青銅器文化の解明は古代出雲研究の大テーマで、荒神谷研究はその中心をなすもの」などと述べました。式典終了後には、足立克己島根県古代出雲歴史博物館前学芸部長が「国宝荒神谷青銅器の発掘調査を振り返って」とする記念講演を行い、午後からは、特別展『一支(いき)国~弥生の海上交易都市~』が開幕しました。