3月6日の「日経ビジネス」 に『なぜ過疎の町に若者や起業家が集まるのか』と題する篠原匡記者の記事が掲載されているので紹介します。


徳島県上山町。人口6000人で、吉野川の支流鮎喰川の上流部に位置する高齢化率46%の過疎化に苦しむ中山間地の典型のような場所だが、いま、神山はIT(情報技術)ベンチャーの“移転”に沸いている。神山のサテライトオフィスを仕掛けたNPOグリーンバレーの大南信也理事長をインタビューした。


神山はサテライトオフィスや店舗の開設に沸いていますね。

大南:おかげさまで、オフィスや店舗、施設がどんどんできてます。この1年を振り返っても、大粟山という町の中心にある山の上に「COCO歯科」という歯医者さんが昨年4月できましたし、フランス家庭料理とオーガニックワインを出す「カフェ・オニヴァ」というカフェ&ビストロも12月オープンしました。南フランスで修業したシェフの長谷川浩代さんの料理は都会でもなかなか食べられないと思います。

 また、日替わりでシェフが変わるシェア食堂という形ですが、パスタ屋とお好み焼き屋が営業しています。この4月には、ピザ屋さんも誕生する予定。大阪で働いていた方がこちらに移住して開くんですよ。予約限定ですが、「麟角」という割烹料亭もあります。神山は山に囲まれた田舎ですが、都会の人が来ても不自由ないくらい魅力的な店が増えていると思います。

 オフィスの方も昨年7月に「えんがわオフィス」という新しいサテライトオフィスができました。番組情報(メタデータ)の運用・配信を手掛けるプラットイーズ(東京都渋谷区、和田かおり社長)という企業のサテライトオフィスです。10年近く空き家だった築90年の古民家を改装、全面ガラス張りのスタイリッシュなオフィスに生まれ変わりました。えんがわオフィスを含めて、9社が神山で古民家オフィスをつくりました。最終決定までいっていませんが、検討中の会社は結構あります。


サテライトオフィスを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

大南:そもそもはワーク・イン・レジデンスというプロジェクトでした。空き家になっている古民家を若い働き手や起業者に貸して、神山に住みながら働いてもらうというプログラムを2008年に始めたんです。空き家再生と若者の定住を目的にしたプログラムで、「薪パン」の上本夫妻がワーク・イン・レジデンスの第1号でした。

 ただ、第2号、第3号の職人が来る前に、名刺管理サービスを手掛けているSansanがサテライトオフィスをつくった。東京のオフィスではない働き方を模索していたSansanの寺田社長が神山の自然環境に着目したんです。それで、サテライトオフィスのニーズがあるということに初めて気づきました。その後は噂が噂を呼んで増えた感じですね。


自然豊かな町はそれこそ全国にたくさんあります。その中で、なぜ神山にサテライトオフィスをつくるのでしょう。

大南:いろいろな理由があると思いますが、前提としてあるのは神山のITインフラでしょう。皆さん驚かれますが、神山町の通信環境は抜群です。というのも、今の飯泉嘉門・徳島県知事がインフラ整備に積極的で、県内全域に光ファイバー網を構築したんですよ。その影響で、神山は東京や大阪と比較しても遜色ないほどの通信環境になっています。

 意外と徳島市内に近い、というのもあるかもしれません。鮎喰川の畔に開けた神山は山深い土地柄ですが、実は市内には40~50分しかかからない。サテライトオフィスの関係者は都会とは異なる環境を求めて来るわけですが、町からあまり離れすぎていると、心理的なハードルは高いと思うんですよ。そういう意味では、小一時間というのはほどほどの距離だろう、と。

 グローバル競争が激しくなっている今、これまでになかったような新しい製品やサービスを生み出さなければ企業は国際競争で勝ち残れません。ただ、それが都会のオフィスに座っていて可能なのか。ちょっと違うのではないか、と多くの企業が考え始めていると思うんですよ。シリコンバレーでイノベーションが起きるのは、あの自然環境も大きいと思います。

 神山で働くとイノベーティブになるかどうかは分かりませんが、働き方を模索する経営者に訴えかけるモノがサテライトオフィスにはあった。そういうことなんだと思います。


神山という町の雰囲気も企業や移住者を引き付けているようですが。

大南:ぼくたちは神山の中の人間なので、こちらに来られた方々がどういうふうに感じているのか、正確なところは分からないのですが、移住者や視察で来られた方々に聞くと、神山は自由で楽しく、いつもアクティブに動いているというイメージをお持ちになるようですね。まあ、グリーンバレー自体が、自分たちが楽しいと思うことをやり続けてきましたので、そう言われればそうかもしれません。

サテライトオフィスやワーク・イン・レジデンスのほかに、アーティスト・イン・レジデンスという取り組みも続けています。


住民による手作りのレジデンスも神山流ですね

大南:これは一定期間アーティストに住んでもらって、滞在期間中にアート作品を残してもらう、という活動です。1999年以来、外国人2人、日本人1人をベースにアーティストを招聘しています。これまでに、50人、18カ国のアーティストが神山に来ました。

 こういったレジデンスはそれこそ日本中にありますが、神山がオリジナルなのは住民との交流を通して作品をつくり上げていくところだと思います。ほかのレジデンスは制作活動に没頭しますが、神山ではパーティーやら子供たちとの交流やらいろいろある(笑)。そういうのが面倒だと思う方には向きませんが、普段と違う環境で発想を変えたいと思う方にはとてもいいレジデンスだと思います。

 また、住民がアーティストをサポートするのも変わっているところかもしれません。神山の場合、アーティストにお父さん役とお母さん役が付き、作品づくりや日々の生活をサポートします。例えば、作品の材料として木や石が必要になったとして、その場合はお父さん役の住民が木を切ったり、石を調達したりする。どこまでもお世話するのが神山流ですね。


なぜ交流をベースにしたレジデンスをつくろうと思ったのでしょうか。

大南:古い話ですが、1997年に徳島県が長期計画の一環で「とくしま国際文化村構想」というものを発表したことがあったんです。神山を中心に国際芸術村をつくるというプロジェクトでした。これは、県レベルでぼくらには何の関係もない話でしたが、上からのお仕着せの芸術村では面白くないと思ったので、グリーンバレーのメンバーで案を考えて、県に働きかけることにしたんですよ。その時に、アーティスト・イン・レジデンスという案が出た。

 なぜレジデンスがいいと思ったのかというと、人をベースにした取り組みだったから。人形の里帰りを始めた時からそうなんですが、ぼくたちはイベントやモノにはあまり関心がなくて。その代わり、面白い人が適度に循環する場をどうつくるか、ということをずっと考えてきました。モノをベースにした仕組みはいつか廃れるけど、人の循環をベースにすればずっと続くでしょう。

 レジデンスはアーティストという、エッジの立ったクリエーターが定期的に訪れる仕組みです。彼らと神山の人々が交わることで、何かイノベーションが起きればいいな、と。そういう意味では、ワーク・イン・レジデンスもサテライトオフィスも本質は同じです。異質な人を集めてかき回すことで、イノベーションを生むことが目的と言うか。


今ではアーティストだけでなく、ベンチャー企業の社員や職人などさまざまな人が集まっていますね。

大南:本当に。神山では岩丸百貨店(注:グリーンバレーのメンバーである岩丸潔氏が営んでいる洋品店)やえんがわオフィスではよく飲み会が開かれていて、住民と移住者の交流が進んでいます。まだまだこれからですが、住民と移住者、あるいは移住者同士のコラボレーションでイノベーションが生まれることを期待しています。
「バランスよく衰退しましょう」


大南さんは「創造的過疎」という概念を提唱していますが。

大南:過疎地における人口減少を止めることはほぼ不可能です。その現実は与件として受け入れたうえで、持続的な地域をつくるために人口構造や人口構成を積極的に変化させていく。人口減少は受け入れて、理想的な人口ピラミッドでバランスよく衰退しましょう。それが、創造的過疎の意味するところです。私が勝手に考えた言葉です(笑)。

 神山で言えば、毎年親2人子2人の家族を毎年5世帯ずつ受け入れることが目標です。そうすれば、理論上、2035年に小学校の1クラスで20人が維持できる。過疎を巡る議論は情緒的になりがちでしょう。数値目標を立てるために、徳島大学の教授に試算を依頼しました。

 いずれにせよ、神山は大きく動いています。過疎の町を変えるダイナミズムを共有したいと思う方は大歓迎なので、ぜひ神山にお越しください。