明治以降の公娼制度の改廃の歴史をたどると、明治5年に「芸娼妓解放令」が発令され公娼制度は名目廃止されたが、実効性に乏しく、明治33年に「娼妓取締規則」により公娼制度が復活した。昭和21年にGHQ司令官から公娼制度廃止の要求が出され、昭和22年に「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」(ポツダム勅令)によって娼妓取締規則は廃止された。しかし、取り締まりの対象除外区域(いわゆる赤線区域)が設定されたため、事実上の公娼制度は1958年4月1日に「売春防止法」が施行され、赤線区域が廃止されるまで存続した。売春防止法は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」という現代社会では当然の視点に立脚しているが、日本が、国の社会福祉制度を発展・充実させる過程で、貧困を救済する制度が未整備であった時代背景の中で、公娼制度が必要とされたことは事実であり、歴史教育の中できちんと教えるべき問題である。慰安婦問題は、日本に公娼制度いわゆる事業としての芸娼業が存在し、必要に応じて芸娼妓が派遣され、派遣先の1つに軍の慰安所があったということである。善悪や適否を現代の価値観で論議すればとんでもないことだが、歴史の過程で消してはならない事実の1つであると思う。