元服や立春式は、天武天皇の御世から貴族、武士社会で続けられてきた成人を祝う儀式と言われています。一般的に、古来より男子は鳥帽子(えぼし)親より与えられる名を名乗り、頭に冠をのせ、衣服を改めるとされてきました。江戸時代以降、女性は年ごろになると成女のしるしとして鉄漿(かね=お歯黒)をつけ、初めて鉄漿つけをする際に、鉄漿親と称して仮親取りをする風習があったと聞いています。そう言えば、父が生前、立春の頃になると出雲地方の元服の風習を話していたことを思い出しました。この地域では、どこでも地域の有力者などに男子は烏帽子親(えぼしおや)、女子は鉄漿親(かなおや)とする仮親を頼み、子を烏帽子子、鉄漿娘として擬制的親子関係を結ぶ慣習があり、終生、実の親子同然のつきあいをすることは珍しくなかったと言っていました。今はほとんど顧みられることのない風習ですが、つい一昔前までは、相互扶助と地域連帯によって若い人たちをサポートするほのぼのとした世代間のつながりがあったことがわかります。