7月4日、参議院島根選挙区に立候補している候補の個人演説会で、候補のご内室のスピーチを聞いて感動しました。スピーチの内容(抜粋)を紹介します。


 ○○○○の家内、○○○○でございます。皆様には、ご多忙のところ、お集まりいただきまして、本当に有難うございます。
 私は、青森県から「一生サラリーマンをする」という主人と結婚し、島根県にまいりました。それが、突然、「官房長官の秘書になる」と、主人が上京、単身赴任の生活が始まって、12年が経過いたしました。当時、6歳の息子と3才の娘は、週末に帰ってくる主人に「また、泊まりに来てね」と手を振るような3人の生活でございました。

 主人の父、○○○○が、今年の1月に、最後になるかもしれない5回目の選挙への出馬を決め、私たち夫婦は父を全力で応援しようと話しておりました。それが、突然、病気で倒れ、主人が後継候補として参議院選挙に出馬するということになりました。あわただしい毎日が始まりましたが、私の心中は複雑でございまして、なかなかその現実を真正面から受け止めることは難しい状況でございました。選対の役員の皆さんや、県議の先生などと、色々な会合や事業所にご挨拶に伺ってはおりましたが、もちろん、たくさんの皆様にお世話をいただいていることは、頭では理解しながらも、どことなく遠慮と申しますか、打ち込めないものを感じながらの日々でございました。

 それは、選挙が公示されて3日が経過した6月27日のことだったと思います。邑智郡の確か商工会事務所にご挨拶にお邪魔した時のことです。事務所は古い木造で、2階の会議室に上がる階段は段差が随分大きく感じました。毎日のあいさつ廻りでかなり疲れていたと思います。半分ほど上がった時にクラッとして、頭が真っ白になり、手すりにつかまりました。ちょうどその時、ご同行いただいた県議の先生から「実は、1月半ほど前に、お父様の○○先生も、この階段を上られたのですよ」と声を掛けられました。私は、その時フッと「父はどんな思いでこの階段を上ったのだろうと」「こんな急な階段を・・・」と胸に迫るものを感じました。

 父が倒れたのは5月13日です。普段と変わらずに「行ってきます」と元気に出かける父に、いつもそうするように私は背広を掛けてあげました。年老いて、背中も丸くなった父が、守ろうとしたものは何だったのだろうか、かつてない厳しい前哨戦で、県内を精力的に廻って、疲れ切っていただろうに、と思うと、今までのこだわりが全部吹っ飛んでしまいました。
 主人はいま、父が必死で守ろうとした、島根の参議院の1議席を引き継ぐため、懸命に選挙戦を戦っております。私も、遅れ馳せながらかも知れませんが、全力で、皆さんのお力をお借りしながら、精一杯頑張ろうと思っております。どうか皆様のご支援を○○○○に賜りますようよろしくお願い申し上げます。皆様、今日は有難うございました。