今回はこの馬でも。
オースミブライト
父 ラストタイクーン
母 タイセイカグラ (母の父 モーニングフローリック)
血統だけ見れば、スーパー短距離馬ですねww
この馬の半妹にはオースミコスモ(父フジキセキ)がいるくらいですが、一族には、母の母ミリーバードからマチカネコンニチワやシャダイカグラが出ています。
先ほども書きましたが、ラストタイクーンは現役時代はマイルを中心に走り、母の父モーニングフローリックも日本ではスプリンターズSに勝ったキングフローリックやバンブーメモリーを出すなど、短距離を中心にした種牡馬でした。
それらの仔から菊花賞に出走する馬が出るわけですからね・・・。
ちなみに、ラストタイクーンは、父としてはオースミタイクーンなどを出し、母の父としてはキングカメハメハなどを出しています。
さて、デビュー戦ですが1998年10月18日の新馬戦。
武豊騎手を背に2番人気に推されましたが、ここでは後に金鯱賞など重賞3勝を挙げるミッキーダンスに敗れて3着となります。
折り返しの新馬戦であっさり勝ち上がると、鞍上は武幸四郎騎手にスイッチ。
一番人気に応えて京都3歳Sを勝利。
そしてGIの舞台へ・・・。
朝日杯3歳Sではさすがに相手が悪かったですね。
アドマイヤコジーンやらエイシンキャメロンやらマチカネキンノホシやらにボッコボコにやられての10着。
年内はこれでおしまいかと思いきや、ラジオたんぱ杯3歳S(現ラジオNIKKEI杯2歳S)に出走。
やっぱりここでも相手が悪かった・・・。
後のダービー馬・アドマイヤベガとマチカネキンノホシのマッチレースについていけず、そこから2馬身半差の3着でした。
年が明けた京成杯。
この年からこのレースは1600⇒2000mに延長されたばかりでした。
ちなみに鞍上は蛯名正義騎手に交代。
ここは1番人気に応えて快勝。初重賞制覇でしたね。
ここで負かした相手はチョウカイリョウガ(ネオユニヴァースの全兄:種牡馬)、リージェントブラフ(後の川崎記念優勝馬でドバイに遠征)でした。
現在こそ京成杯といえば、ナカヤマフェスタやエイシンフラッシュ、フェイトフルウォーなどが勝ち馬として名を連ねていますが、当時はまだまだクラシックへ向けて賞金が足りない馬が出走するレースというイメージが強かったんですね。
その後はクラシック戦線に乗ります。
皐月賞トライアル・スプリングSは不良馬場を苦にしてか、ワンダーファングの7着と敗れるものの、賞金を持っていたので出られた皐月賞では、テイエムオペラオーの2着。
この時3着に退けたのはナリタトップロード。
1番人気のアドマイヤベガは6着でした。
暮れのレースでボコボコにされたお返しは(とりあえずは)できたというところでしょうか。
そうなると、当然次は日本ダービー。
皐月賞でボコボコにしてやったさらなるお返しは早いもので、早速返り討ちに遭ってアドマイヤベガの4着に敗れました。
とはいえ、2着ナリタトップロード、3着テイエムオペラオーですから、威張っていい成績だと思います。
さぁ、これで秋まで休養・・・かと思ったら、なんと出走したのは宝塚記念。
しかも3番人気に推されてます。
いくら皐月賞2着、ダービー4着とはいえ、グラスワンダーとスペシャルウィーク相手に戦えるほどの力はまだまだありません。
結果は6着でした・・・。
が、スエヒロコマンダーやキングヘイローには先着しているんですから、斤量差があったとはいえ、大したもんです。
そして、ようやく休養。
秋は菊花賞戦線へと向かうことに・・・。
秋初戦は神戸新聞杯。
ちょいとここで脱線。
当時は菊花賞トライアルとして、中山:セントライト記念、阪神:神戸新聞杯、京都:京都新聞杯と3つ用意されており、ローテーション的には、セントライト記念または神戸新聞杯を使った後、さらに京都新聞杯を使って本番に向かうこともできました。
が、秋華賞設立後、菊花賞の時期も前倒しされて、元々京都新聞杯を行っていた時期に菊花賞そのものが移動。
結果、京都新聞杯は春に移設されて、セントライト記念と神戸新聞杯がトライアルとして残るようになりました。
それまでの間、神戸新聞杯は菊花賞への鬼門とされ、ここを勝った馬で本番も勝ったのはビワハヤヒデくらい。
マヤノトップガンもマチカネフクキタルも神戸新聞杯は権利だけを獲って、京都新聞杯⇒菊花賞へ向かいましたね。
さて話を本題に。
このレースでは鞍上に再び武幸四郎騎手が。
1番人気に応えて優勝します。
3着に退けたのはラスカルスズカでした。
これで賞金十分、権利も獲ったと思いきや、京都新聞杯に出走してきました。
菊花賞での距離不安を考えれば、トライアルがメイチの仕上げという考え方もできなくはありませんが・・・。
この京都新聞杯では、三度アドマイヤベガにメッタメタにされ、3番人気ながら6着に敗退・・・。
しかし、チョウカイリョウガには先着しました。
チョウカイリョウガだけにはヤケに強いな・・・この馬・・・。
そして、なぜか本番になると下ろされてしまう幸四郎騎手。
菊花賞では四位騎手が手綱をとり、8番人気で8着。
勝ったのはご存知ナリタトップロード。
2着にテイエムオペラオー、3着ラスカルスズカでした。
1番人気のアドマイヤベガは6着・・・。
さて、これでひとまずはGI戦線を避けて勝てそうなところを・・・と思ったら、次走はジャパンカップ。
やっぱりこの馬では相手にならず、スペシャルウィークに大惨敗。
それ以外の相手を見ても、モンジューだのボルジアだのタイガーヒルだの、ヨーロッパでエルコンドルパサーと戦ってきた外国馬に加え、日本勢でもステイゴールドとかですからね・・・。
ちなみにこの時、オースミブライトはブービーだったんですが、ただ1頭先着したのがGI馬スティンガーでした。
さてさて、またもや脱線。
スペシャルウィークの話が出たので、ついでに書きますが、スペシャルウィークは現役時代、東京競馬場でGIを3つ勝ちました。
日本ダービー、天皇賞・秋、ジャパンカップです。
そのいずれもが馬連万馬券というオマケがついているのをご存知でしたか??
スペシャルウィーク自身そんなに人気がなかったわけでもなく、強いて挙げれば天皇賞・秋の4番人気くらい。
あとはダービーは1番人気でしたし、このジャパンカップもモンジューに続く2番人気でした。
が、なぜか2着にはとんでもない馬を連れてくることばかりだったんですよ。
こういった馬も珍しいかも知れませんね。
さて、また本題に。
このオースミブライトですが、神戸新聞杯が実は最後の勝利で、その後は36連敗を喫します。
その間、障害練習も行い、障害競走にも出走しました。
オースミブライトが初障害を迎えたのは2003年6月。
中京競馬場での障害未勝利でした。
鞍上は常石騎手で、このときは神戸新聞杯以来、久々に1番人気となりました。
結果はトーアコマンダーに出し抜けされての2着でしたが、このとき3着の退けたのは後のJ・GI馬メルシータカオー。
飛越さえ安定すれば障害でもかなりやれたかもしれませんが、何せヘタ。
結局、この1戦だけで再度平地にもどります。
が、やはり平地でも成績が出ず、再び障害へ。
しかしなぜが出走したのは障害OP。
ん???
未勝利はどうした???
って感じですが、陣営は障害さえ無事にクリアすれば、平地の脚でどうにかなると考えたんでしょうか?
結局、障害OPを2戦しましたが、それぞれ7着、10着と敗れ、競走馬登録を抹消しました。
引退後は、栗東ホースクラブに乗馬として移動し、2011年現在は奈良県にあるクレインオリンピックパークに在籍しているそうです。
このオースミブライトですが、その当時は良いバイプレイヤー的な存在でもありました。
勝てるかどうかは非常に微妙。
だけどレースには欠かせない存在。
馬券を買う側としては、取捨選択という意味では悩みの種の1つでしたから、レースを非常に難しくしてくれましたね。
そういう意味ではレースの盛り上げ役にもなってくれましたし、面白い馬だったと、今となっては感じる今日この頃です。
さて、次は何を書こうかなぁ・・・。
【投稿者】 ぼやっきー