『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』の高畑勲監督、死去 | ぶっちゃけシネマ人生一直線!❁

『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』の高畑勲監督、死去

 

 


高畑勲監督が肺がんのためお亡くなりになりました。82歳。昨年夏ごろから体調を崩し、その後も入退院を繰り返していたそうです。


1935年、三重県伊勢市生まれの高畑監督は大学卒業後に入社した東映動画(現・東映アニメーション)で『太陽の王子 ホルスの大冒険』などの演出を手掛けました。そこで盟友となる宮崎駿と出会い、『となりのトトロ』のルーツともいえる『パンダ・コパンダ』『パンダ・コパンダ 雨降りサーカスの巻』を監督。

70年代後半から80年代にかけて、『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』『じゃりン子チエ』など数多くの名作アニメを世に送りました。完成までに5年も費やした『セロ弾きのゴーシュ』(82)を完成させた後、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』をプロデュースしています。

高畑監督の進言により、85年に宮崎駿らと共にスタジオジブリを設立。『となりのトトロ』と同時上映された監督作品『火垂るの墓』は88年公開時の興行成績は伸び悩んだもの、作品評価はすこぶる高く、今でもアニメ史に残る名作として挙げられることが多いです。91年、宮崎駿の後押しもあり、『おもひでぽろぽろ』を監督。60年代の描写を徹底的にこだわり、ファンタジー作品でないにもかかわらず配収18億円(興収換算約31億円)のヒットとなりました。

94年の『平成狸合戦ぽんぽこ』は高畑監督のオリジナル原作で、得意のファンタジーアニメで挑み、その年の邦画配収1位となる26億円(興収換算約45億円)を記録しました。いしいひさいち原作の4コマ漫画を劇場アニメ化した『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)は、水彩画タッチのデジタル作画で制作するなど技術面でさまざまな挑戦をした意欲作でしたが、興行は低迷しました。

高畑監督の念願の企画である『かぐや姫の物語』がついに始動するも、製作段階で紆余曲折があり、公開されるまで実に14年も待たされることに。しかし本作は『ホーホケキョ~』で導入された手描きスタイルアニメの技術が存分に生かされ、その美しい世界観で描かれた「竹取物語」に批評家は惜しみない賛辞を送り、アニー賞やアカデミー賞長編アニメ賞にノミネートされました。


日本だけでなく、世界中でも高畑勲監督を悼む声が広がっています。スタジオジブリの鈴木敏夫氏は
「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました」とコメント。 

 

また、『かぐや姫の物語』でかぐや姫の声を務めた女優・朝倉あきさんもコメントを発表しました。「色々なお話を、またあの穏やかなお声で、沢山聞きたいと思っていたのに。悔しいです。いまはすごく寂しい気持ちでいっぱいです。 お会いしたときからずっと、私にとって心の奥で輝く星のような存在でした。思い悩んでも、いつかきっと、必ずあの光に辿り着くのだと、いつも勇気をいただいていました。『かぐや姫の物語』での、モニターをじっと見る静かな眼差しが忘れられません。試写のときの柔らかな笑顔を思い出すと涙が出ます。どうかゆっくり休んでください。心より、ご冥福をお祈りいたします。」

 

 

『火垂るの墓』を初めて観た時の衝撃は今でも忘れられません。ご冥福をお祈りします。