幸せ
日差しの中、庭に出て、クーが遊んでいる姿を見ていると、「幸せだなあ」と思う。
生きていると色々なことがある。
嫌になることもたくさんある。
でも、そんな中で、ふと「なんだかんだ言っても幸せなんだわね」と思う。
私は、うつ病と乳ガンの治療の薬を飲んでいる。
安定剤が手放せない毎日の中で、本当に今の生活を投げ出したいと思うことも度々。
乳ガンの転移があると聞いて、「死ぬかも」と思い、いま生きていること自体が幸せなんだと思うことも。
「幸せ」ってなんだろう?
今の日本(先進国って言った方がいいのかな)は、物が溢れていて、本当に生活に必要かどうか分からない物まで、これでもかというくらい世間に出回っている。
こうなると、本当に必要な物が分からなくなることも、しばしばあると思う。
テレビをはじめとする便利な電化製品や車、ブランド品の服や鞄や靴。
「あって当たり前」という感覚になるのが怖い。
で、「もっと、もっと」。
まあ、そういう欲求(物欲)が、経済成長を促してきたという側面もあるけど。
でも、そろそろ、そういう物欲に頼った「成長」には限界が出てきていると思う。
人は、「物」で幸せにはならないと思うからだ。
「物」で感じることのできる幸せは、たぶん一時的なものではないかと。
でもって、本当の「物」のありがたみが分からなくなってる。
この、当たり前だと思っている生活が、どれほど恵まれたものであるかが分からない。
私は「途上国」と呼ばれる国のいくつかに、旅行で行ったことがある。
「物」は、日本に比べると圧倒的に少ない。
生活も、日本人から見ればかなり不便だし、「裕福」とは程遠い。
でも、人々の表情は明るい。
子供たちの笑顔なんて、本当に「子供らしい」って感じ。
こんな無邪気な笑顔をしている子供達は、昨今の日本では余り見かけないような気がする。
そりゃあ、もちろん暗い人たちもいたし、物乞いなんかもいたけど・・・
タンザニアのある村を訪ねた時、最近村に水道が引かれたと喜んでいた。
各家庭ではなく、村の広場のような場所にいくつかの水道があって、村人たちは、その水道まで水をくみに来る。
これ、日本なら「不便」という感覚になると思う。
でも、彼らは嬉々として、私たちに話して聞かせてくれた。
「ありがたい」ということを、理屈ではなく、体験で知っている。
幸せそうに見えるのだ。
こういう感覚って、今の日本では薄れているような気がする。
でもって、「もっともっと」と欲求だけが募り、手に入らないことを嘆き、自分は恵まれていないと思う。
物欲の行きつく果ては、こんなもんだと思う。
そこで諦められればいいけど、諦められないと犯罪に走ったりする。
お~、こわ。
家族や友達との時間が幸せだという人たちもいると思う。
「物」より健全。
でも、昔にくらべて「個人主義」になっているので、我慢がきかない人達も多い。
家族や友人に合わせるということができなかったり、逆にうまく取り繕うことを考えるあまり、自分を抑え、
ストレスを溜め、ついには爆発するか、精神を病むか。
私はストレスを溜めて、精神を病んだくち。
でも、考えてみる。
物には不自由していない。(贅沢はできないが、最低限必要な物は持っている)
衣食住に困らない。
なんだかんだ言って、生きていられるし、明日の生活を心配しなくていい。
町を歩いていて、砲弾が落ちてくることもない。
ケンカもするけど、いざという時に支えてくれる友達もいる。
可愛い可愛いクーもいる。
これが幸せでなくてなんだ?
多くを求めず、今あるものに感謝をし、毎日を無事に生きていけたら、それが幸せ。
そして、「持っている」私は、「持たない」人達のために何かをしたいと思ったりもする。
途上国への支援をするNPOなどに寄付をしているのは、そういう理由からだ。
たいした額じゃないですけどね(;^_^A
なんだか、とりとめのないことを書いてしまったけど、穏やかな日差しの中で、ボーッとしてたら、そんな事を考えてしまった。
多分、私は幸せなんだ。
ね、クー。





