小保方さんとドリームボール
小保方さんの騒動を見てると、「野球狂の詩」の水原勇気を思い出す。
「野球狂の詩」の水原勇気編は、すごく衝撃的だった。
それまで、野球アニメといえば、「巨人の星」の大リーグボールとか、「侍ジャイアンツ」の分身魔球とか、ぶっとんでてビジュアル的にわかりやすい魔球を投げる話が人気だったんだけど、
水原勇気が投げる「ドリームボール」は、分身魔球とかに比べると、地味な変化球だった。
物語の中で(うろ覚えだけど)、ドリームボールは、確認が出来ないので、「ドリームボールって本当は無いんじゃないのか?水原勇気ってインチキなんじゃないか?」って話になる。
それまでの野球アニメが、「誰がどうやって魔球を打つか」がドラマの見所になってたのに対して、「ドリームボールは実在するのか?」っていうのがテーマになってくる。
これって、本当に衝撃的だった。リアルなドラマっていうものの面白さを初めて知ったのが「野球狂の詩」だったような気がする。
小保方さんを見てると、男中心の世界で、若い女性がびっくりするようなことをやったんだけど、それが「本当なのかどうか」が問題になってくるってとこが、水原勇気にそっくり。
小保方さんの騒動に対するリアクションの裏にある人の心理って、大きく分けると二通りあるような気がする。
一つは、いぶし銀の男性研究者たちがやってきた研究を超えるような研究結果を、若い女ごときが出すなんて気に入らない。
もう一つは、若い女の子なんだから、多少未熟だったとしても、あんまりいじめないでよ。
っていうもの。
僕自身の中にも、その両方の気持ちがあるんだけど、やっぱりどっちも女性に対する差別的な感情のような気がするので恥ずかしいことですね。
ただ、佐村河内さんと小保方さんを比べると、僕は佐村河内さんを擁護したい!
二人とも結果的にウソをついていたわけだけど、絶対にウソをついてはいけないサイエンスの世界でやったことと、「ウソを楽しむ」エンターテインメントの世界でやったことだからです。
「野球狂の詩」の水原勇気編は、すごく衝撃的だった。
それまで、野球アニメといえば、「巨人の星」の大リーグボールとか、「侍ジャイアンツ」の分身魔球とか、ぶっとんでてビジュアル的にわかりやすい魔球を投げる話が人気だったんだけど、
水原勇気が投げる「ドリームボール」は、分身魔球とかに比べると、地味な変化球だった。
物語の中で(うろ覚えだけど)、ドリームボールは、確認が出来ないので、「ドリームボールって本当は無いんじゃないのか?水原勇気ってインチキなんじゃないか?」って話になる。
それまでの野球アニメが、「誰がどうやって魔球を打つか」がドラマの見所になってたのに対して、「ドリームボールは実在するのか?」っていうのがテーマになってくる。
これって、本当に衝撃的だった。リアルなドラマっていうものの面白さを初めて知ったのが「野球狂の詩」だったような気がする。
小保方さんを見てると、男中心の世界で、若い女性がびっくりするようなことをやったんだけど、それが「本当なのかどうか」が問題になってくるってとこが、水原勇気にそっくり。
小保方さんの騒動に対するリアクションの裏にある人の心理って、大きく分けると二通りあるような気がする。
一つは、いぶし銀の男性研究者たちがやってきた研究を超えるような研究結果を、若い女ごときが出すなんて気に入らない。
もう一つは、若い女の子なんだから、多少未熟だったとしても、あんまりいじめないでよ。
っていうもの。
僕自身の中にも、その両方の気持ちがあるんだけど、やっぱりどっちも女性に対する差別的な感情のような気がするので恥ずかしいことですね。
ただ、佐村河内さんと小保方さんを比べると、僕は佐村河内さんを擁護したい!
二人とも結果的にウソをついていたわけだけど、絶対にウソをついてはいけないサイエンスの世界でやったことと、「ウソを楽しむ」エンターテインメントの世界でやったことだからです。
作曲家ゴーストライター問題について
作曲家の佐村河内守氏が、実際には作曲してなくてゴーストライターを使ってた問題について。
この問題って、エンターテインメントの仕事に関わってる人なら、いろいろ考えるべき問題を含んでるんじゃないかと思います。
商業的な要素を含んだ芸術作品って、たいていはいろんな人のアイデアなどが含まれてることが多いと思いますが、作曲家とか、監督とか、脚本家とかってクレジットされるのは一人だったりします。
佐村河内さんは、実際の作曲作業はしていないけど、ゴーストライターの作曲家に、曲のコンセプトなど指示書を書いて発注してたとのことなので、「そここそが作曲の一番重要なところだ」って主張されたら、簡単には否定できないと思います。
確か、キング・クリムゾンのロバート・フリップもこの方式だったんじゃなかったかな。キング・クリムゾンって、ロバート・フリップが曲のコンセプトだけを考えて、実際に曲を作ってるのは他のメンバーだったんじゃなかったっけ。
作曲って、何をもって作曲というのか、実はあいまいです。
たいていの人が、作曲というと、歌メロを作ることだと思ってるんじゃないでしょうか。クラッシック音楽の場合は、すべての音符を書くことなんだと思うので、ポップミュージックにおける「作曲」と「編曲」を含めて、クラシックの世界では「作曲」といっていると思います。佐村河内さんがクラシックの作曲家だとしたら、たしかにこの「作曲」の定義からは外れるとは思いますが。
ちょっと話がずれるかもしれないけど、ポップミュージックに限って言うと、「曲の善し悪し」を決めるのは、実は作曲(歌メロを作ること)よりも編曲によるところの方が多いのではないかと思います。
編曲というのは、「コード進行」を決めることも含まれます。なんの面白みもないメロディでも、コード進行が魅力的なら、「よい曲」になります。もともとあった魅力的なコード進行に、素人が適当にメロディをのせても、それなりに「よい曲」は出来ます。
Mr.チルドレンの初期のドキュメンタリー映画で、名曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」が作曲される風景がおさめられています。
映画を観たのがかなり前なのですが、僕の記憶によれば、この作曲の場で、あきらかに主導権を握ってるのは、プロデューサーの小林武史です。
小林武史が、桜井に、「シンディ・ローパーの『タイム・アフター・タイム』のコード進行を使って、曲をつくってみろ」って言います。
それで、小林武史が「タイム・アフター・タイム」のコード進行をピアノで弾いて、桜井がそれにメロディをのっけていく。こうして「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のAメロが生まれていく…。
僕はそれを見て、びっくりしました。「それ、桜井が曲を作ったことになるの? パクってんじゃん! それを映画で見せちゃってもいいの?」って思った。
佐村河内さんのケースと似たようなことは、映画に関しても、いくらでもあると思います。
たいての人は、映画って監督が作ってると思ってます。
登場人物が言う台詞は、監督のメッセージだと思ってる人が多いんじゃないでしょうか。
だけど、実際には監督は、出来上がった脚本を撮ってるだけって可能性もあります。
実は、僕もテレビで脚本を書いた時に、出来上がったものは自分が書いてない台詞であふれてました。
シナリオの打ち合わせで、監督と意見が合わず、喧嘩してしまったのですが、最終的には監督に任せるということになり、監督がかなり台詞を変えてしまいました。
だけど、脚本家としてクレジットされてるのは僕の名前だけだったので、今でもそのことを後悔してます。監督との共同脚本ってことにしてもらえばよかったと。
要するに何が言いたいかというと、作品って一人の天才が作るものもあるけど、いろんな人によって作られるものもあって、どっちもありだってことです。
佐村河内さんの場合も、「佐村河内作曲」ではなく「佐村河内工房作曲」みたいにしていれば問題なかったんだろうけど、「孤高の天才が作った」っていうイメージが必要だったってことだよね。
ここでは、「エンターテインメントを、たくさんの人に届けるためには、作品の内容だけじゃなくて、『ウリ』になるものが必要になる」っていう別の問題があると思います。
あのゴーストライターの作曲家は、才能はあるけど「ウリ」がなかったと思うので、「佐村河内」の名前を利用することで作品を世の中に出せたという側面はあると思います。
なんかこの問題について、書きたいことがいっぱいありすぎて、まとまらなくなってきたので、このへんでやめます。
この問題って、エンターテインメントの仕事に関わってる人なら、いろいろ考えるべき問題を含んでるんじゃないかと思います。
商業的な要素を含んだ芸術作品って、たいていはいろんな人のアイデアなどが含まれてることが多いと思いますが、作曲家とか、監督とか、脚本家とかってクレジットされるのは一人だったりします。
佐村河内さんは、実際の作曲作業はしていないけど、ゴーストライターの作曲家に、曲のコンセプトなど指示書を書いて発注してたとのことなので、「そここそが作曲の一番重要なところだ」って主張されたら、簡単には否定できないと思います。
確か、キング・クリムゾンのロバート・フリップもこの方式だったんじゃなかったかな。キング・クリムゾンって、ロバート・フリップが曲のコンセプトだけを考えて、実際に曲を作ってるのは他のメンバーだったんじゃなかったっけ。
作曲って、何をもって作曲というのか、実はあいまいです。
たいていの人が、作曲というと、歌メロを作ることだと思ってるんじゃないでしょうか。クラッシック音楽の場合は、すべての音符を書くことなんだと思うので、ポップミュージックにおける「作曲」と「編曲」を含めて、クラシックの世界では「作曲」といっていると思います。佐村河内さんがクラシックの作曲家だとしたら、たしかにこの「作曲」の定義からは外れるとは思いますが。
ちょっと話がずれるかもしれないけど、ポップミュージックに限って言うと、「曲の善し悪し」を決めるのは、実は作曲(歌メロを作ること)よりも編曲によるところの方が多いのではないかと思います。
編曲というのは、「コード進行」を決めることも含まれます。なんの面白みもないメロディでも、コード進行が魅力的なら、「よい曲」になります。もともとあった魅力的なコード進行に、素人が適当にメロディをのせても、それなりに「よい曲」は出来ます。
Mr.チルドレンの初期のドキュメンタリー映画で、名曲「トゥモロー・ネバー・ノウズ」が作曲される風景がおさめられています。
映画を観たのがかなり前なのですが、僕の記憶によれば、この作曲の場で、あきらかに主導権を握ってるのは、プロデューサーの小林武史です。
小林武史が、桜井に、「シンディ・ローパーの『タイム・アフター・タイム』のコード進行を使って、曲をつくってみろ」って言います。
それで、小林武史が「タイム・アフター・タイム」のコード進行をピアノで弾いて、桜井がそれにメロディをのっけていく。こうして「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のAメロが生まれていく…。
僕はそれを見て、びっくりしました。「それ、桜井が曲を作ったことになるの? パクってんじゃん! それを映画で見せちゃってもいいの?」って思った。
佐村河内さんのケースと似たようなことは、映画に関しても、いくらでもあると思います。
たいての人は、映画って監督が作ってると思ってます。
登場人物が言う台詞は、監督のメッセージだと思ってる人が多いんじゃないでしょうか。
だけど、実際には監督は、出来上がった脚本を撮ってるだけって可能性もあります。
実は、僕もテレビで脚本を書いた時に、出来上がったものは自分が書いてない台詞であふれてました。
シナリオの打ち合わせで、監督と意見が合わず、喧嘩してしまったのですが、最終的には監督に任せるということになり、監督がかなり台詞を変えてしまいました。
だけど、脚本家としてクレジットされてるのは僕の名前だけだったので、今でもそのことを後悔してます。監督との共同脚本ってことにしてもらえばよかったと。
要するに何が言いたいかというと、作品って一人の天才が作るものもあるけど、いろんな人によって作られるものもあって、どっちもありだってことです。
佐村河内さんの場合も、「佐村河内作曲」ではなく「佐村河内工房作曲」みたいにしていれば問題なかったんだろうけど、「孤高の天才が作った」っていうイメージが必要だったってことだよね。
ここでは、「エンターテインメントを、たくさんの人に届けるためには、作品の内容だけじゃなくて、『ウリ』になるものが必要になる」っていう別の問題があると思います。
あのゴーストライターの作曲家は、才能はあるけど「ウリ」がなかったと思うので、「佐村河内」の名前を利用することで作品を世の中に出せたという側面はあると思います。
なんかこの問題について、書きたいことがいっぱいありすぎて、まとまらなくなってきたので、このへんでやめます。
人材交流会
昨日は、城戸賞×ndjc 人材交流会に行ってきました。
歴代の城戸賞受賞者、最終候補者と、ndjc出身の若手監督と、映画会社各社のプロデューサーさんが出席。
自分は、一応城戸賞最終選考に残ったことがあるので、ギリギリ呼んでもらえました。
ndjcの監督さんたちとか、結構作品を見たことある方が多かったので、いろいろ話が出来て楽しかったです。
大好きな原田眞人監督作品「KAMIKAZE TAXI」「タフ」シリーズの岡田プロデューサーもいらしてたので、「KAMIKAZE~」の話をしつこくいろいろ聞いてしまいました。
「KAMIKAZE TAXI」や「タフ」シリーズの話を、プロデューサーさんと二人で出来るなんて、なんて幸せな時間だったんだろう!
岡田さんから聞いた「KAMIKAZE」エピソード 達男役は、最初は高橋和也ではなく、東幹久の予定だったんだったんだって!
歴代の城戸賞受賞者、最終候補者と、ndjc出身の若手監督と、映画会社各社のプロデューサーさんが出席。
自分は、一応城戸賞最終選考に残ったことがあるので、ギリギリ呼んでもらえました。
ndjcの監督さんたちとか、結構作品を見たことある方が多かったので、いろいろ話が出来て楽しかったです。
大好きな原田眞人監督作品「KAMIKAZE TAXI」「タフ」シリーズの岡田プロデューサーもいらしてたので、「KAMIKAZE~」の話をしつこくいろいろ聞いてしまいました。
「KAMIKAZE TAXI」や「タフ」シリーズの話を、プロデューサーさんと二人で出来るなんて、なんて幸せな時間だったんだろう!
岡田さんから聞いた「KAMIKAZE」エピソード 達男役は、最初は高橋和也ではなく、東幹久の予定だったんだったんだって!