最近、苫米地博士の新しい定理がどんどん公開され、場が急速に移動していることを感じています。



上からの視点(ゴール側からの視点)が無いと、

下で(物理的現実世界で)無闇に行動しても、収束先が変わっていないので、現状の中から抜け出すことはできない


ということは、過去の記事でもお伝えしてきました。

cf.涅槃をゴールとして設定すること で、涅槃へと続く希望の谷へどん どん移動していく。



周りの移動に急かされるように、焦って行動するのではなく、

ゴールの世界の魅力を心の中で大きく描き、Egoが収束していく先を変える必要があります。


まといのば本家主宰の記事を引用します。

 

ゴールを設定したあとに焦(あせ)ることはありません。

自分を過呼吸に追い込みながら、無意識を焦(あせ)らせることもありません。

ぶつぶつとネガティブなマントラを唱えながら、アドレナリンを出す必要もありません。

 

それよりも無意識を焦(じ)らしましょう。プライミングをかけましょう。

理想の世界の魅力を心の中に大きく描きましょう。
(略)

我々の競技は短距離走ではなく、超長距離です。

長距離なのに、ラストスパートのように走り続ける怪物くんもたくさんいますが、他人と自分を比較しても仕方ありません。彼らは彼らの超長距離走を走っているのです。

僕らは自分の能力の輪の中にとどまり、そしてそこを深く深く掘っていくだけです。

そうすると才能という泉を掘り当てられます。

そしたらもっと掘り進めていくことです。

我々の幸福はたった2つのことからできています。

泉を掘り進めること、そして泉の水を分け与えることです。

(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


それよりも無意識を焦(じ)らしましょう。プライミングをかけましょう。

理想の世界の魅力を心の中に大きく描きましょう。



そして、いつの日か理想の世界がやってくるのを待つのではなく、世界を変える行動を今始めようというメッセージをこめて、


マイケルジャクソンは、『鏡の中の人として始めよう』(直訳)と歌ったのではないかと思います。


まといのば本家主宰の記事を引用します。

 

というわけで、グノーシスと言えば、マイケル・ジャクソンの「鏡の中の人(Man in the mirror)」!!(男ではなくあえて人と訳します)。

*マイケル・ジャクソン「Man in the Mirror」

*鏡は三種の神器のひとつであることからも分かるように、古来より重要な瞑想の道具です。

 

 

I'm starting with the man in the mirror

(僕は鏡の中の人として一歩を踏み出そう!)

I'm asking him to change his ways

(彼にやり方を変えるように言うんだ!)

 

 

というわけで、世界を良い場所にしたいと思うならば、グノーシス神話を思い起こしながら、鏡の中にいる自分(それはプレローマの自分を想起させる)から変えていきましょう!!

(そのときに他の無限にある鏡を割ることも必要かもしれません)

(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


ゴールを設定できるのは今しかなく、だからこそ未来を変えられるチャンスは今だけなのだと思います。

(Egoの収束先を変えられるのは、今のSelfのゴールセットしかない。)



そして、ゴール側にいる先生や先輩たちから教えられたことを素直に聞いて実行していきましょう。


下から上は見えないので私たちには分からないのですが、上の者(先生や先輩たち)から下は整合的に見えているので、奥義となるものを教えているのです。


鍵はどんどん渡されており、


後は、自分で鍵穴に挿して回していくだけなのだと思います。


であるのに、

「行き方が見えません。本当にそれであってますか?」

「もっと速く行ける方法は無いですか?」


と訊くのは、簡単に見ることができる未来に到達したいと思っているからかもしれません。

若しくは、過去のゴールに引っ張られているのかもしれません。


ゴールはどんどんと更新していくものです。

(ゴールに到達してから更新ではなく、進む過程で抽象度が上がり視座が変わることで、新たなゴールが見えてきます。新たな可能性に目を瞑らないように。)


上と下から挟み込むように、


ゴールを更新する一方で、その都度渡されたものを根気強く牛の歩みで取り組んでいくことが大切だと思います。


焦らず、Creative Avoidance という脳内での無駄なお喋りで頭を悪くするのではなく、

牛のように継続的にやるべきことを遂行していく。


まといのば本家主宰の記事を引用します。

 

馬ではなく、牛になれ、と夏目漱石は芥川龍之介に語ります。
われわれは馬になりたがるが、焦ってはいけない、頭を悪くしてはいけない、と。
牛の根気の前には世の中は頭を下げることを知っているが、火花のように駆け抜ける馬には一瞬の記憶しか与えてくれない、と言います。

うんうん死ぬ迄、押せと言います。それだけだ、と。牛は超然と人間を押していく、と。

これは易きに流れやすいわれわれにとってもありがたいアドバイスです。

(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


牛といえば、先日、国立新美術館に行ってきました。


ピカソが闘牛好きであったとは初めて知りました。

闘牛の作品を数多く遺されています。


(会場のレイアウトは、ポール・スミスが考案するという贅沢な展覧会でした。)


陶芸もしており、大量の器を作っていたそうです。



多様な趣味があったのですね。



豊かな人生を送るためにも、バランスホイールの各項目にゴールを設定することは大切です。


しかし、そのゴールがただ社会に開けられた Want という穴を埋めるためのものだったのなら。



その穴を埋めていく消費行動をしていくだけで人生が終わってしまい、我々にとっては悲しい人生となってしまうのだと思います。


まといのば本家主宰の記事を引用します。

 

資本主義を無闇に高く評価する気は毛頭ありませんが、これはシステムとしては欲望喚起システムです。

逆に言えば、穴あけパンチのようなもので、大衆の心に穴をどんどん開けていくシステムです。

そのうちに数割でも、その穴を埋めるために、購買行動を取ってくれれば、コストは回収できるのです。

これは心にとってはもちろん良くありません。

このマッチポンプが究極的に進化しているのが、いくつかのフリーミアムです。ポルノもそうですし、検索も同様です。SNSも。

(ちなみに、このブログ自体ももちろん良いヒーラーを育てるべく心に穴を開けるシステムです。ですからそこにゴールが無い人が読んでも有害なだけです。いや、そもそもそこにゴールが無ければ、読まないかw)

(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


ピカソの作品を見て想うことは、


自分の Want という穴を深く掘り下げているということ。

明確なメッセージを作品に表現し、どの作品にも通底する Want があるように感じました。



ゴールへ移動していく道中は、本来の自分に戻っていくことであり、だからこそ楽しいのです。

cf.懐かしい未来へ戻るようにゴール へ落ちていく。憧憬と嫉妬は裏表 の感情。


むしろその道中にこそ、価値があると思える大切なものが潜んでいるのかもしれません。


HUNTER×HUNTER)


新たな可能性に目を瞑らないようにひとつひとつを丁寧に過ごすことを忘れずにいたいですよね。


その過程を仲間とともに楽しんでいきましょう。



今回も読んでくださりありがとうございました。