(当時繰り返し観ていたスーパープレー集)
「本気を出せば、結果を出せる」「おれはまだ本気を出していないだけ」「これならできる」と思えるうちは幸いなのです。若いのです。そのような勘違いがエンジンとなり、我々を遠くへ運んでくれます。そのときようやく圧倒的な才能や圧倒的な壁にぶつかります。
そのときは赤い彗星・シャア・アズナブルのようにつぶやきましょう。過ちは重要です。若さゆえの傲慢で突っ走ることで、自身の限界にぶち当たり、自分が何者でもないことに気づき、自分には可能性も、将来性も、才能もないことに気付けば良いのです(明らかに言いすぎですが)。
とことん気付いて、軽く何度も絶望したあとに、それでもなおやりたいと思えることを人生の主軸にすえ、あとはどうでもいいと流せば、その人は自分の人生と才能に忠実に生きたと言えるのではないかと思います。死と税金以外は相変わらず不確定な世界です。ささやかな才能、ささやかな将来性、ささやかな努力など、吹けば飛ぶのです。
そうであれば、早い時期に吹き飛びましょう。全力を尽くし、本気を出し、一瞬一瞬命を燃焼させ、そしてふっとばされる経験をさっさと済ませることです。それを何度も何度も。
自分は何者でもないということに深く気付けたあとに、何者(somebody)になる可能性が拓けます。
(『まといのば』本家主宰のブログより引用)
とことん気付いて、軽く何度も絶望したあとに、それでもなおやりたいと思えること
「仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこび」であるべきです。そして自分にとってそれは何なのかを探し当てることです。
そのためには幾千ものNoを繰り返すことです。
人から言われて仕事をしているときはまだ訓練期間であり、修行期間のようなものです。
自分がやる仕事は「自分で自由にやる仕事のことで、それはつまり、能力を示すわざであると同時に、能力が出ている源でもある」ものです。
我々は与えられた仕事をこなすことに慣れすぎていますが、それは仕事としてはフェイクであり、ただのお子様向けの練習問題でした。
これから本当の仕事をスタートさせるのですから、幾千ものNoを自分に突きつけて、本当のYesに出会い、本当のWant toに出会うまで徹底的に自己と対話し、作業を続けることかと思います!
(『まといのば』本家主宰のブログより引用)
自分は何者でもないということに深く気付けたあとに、何者(somebody)になる可能性が拓けます。
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」〜パガニーニとニュートン〜
(『まといのば』本家主宰のブログより引用)
というお言葉は、私達にとって大きな福音となると思います。
NOを突きつける。脳に突きつける。

