昨夜はシン・気功Clubの生配信でした。
まといのば先生、Ray先生、ありがとうございました。

昨日は体力的にとても疲れていたため、初めてリアルタイムでの講義をスキップし、アーカイブでの配信を待っていました。

病院での待ち時間が長すぎて、スクリプトの文字だけで配信の内容を読んでいました。家に帰ってノートを広げて学ぶ前に、スクリプトで配信内容を読むと、まといのば先生とRay先生が仰った言葉ひとつひとつがズシンと心に響きました。生配信では、配信の雰囲気が重くならないように、冗談の様にさらっと貴重な話を入れたりしていると感じます。スクリプトでは、表情も無く、コミカルに仰っている部分がどこかは分からないので、客観的に言葉ひとつひとつを丁寧にフラットな感情で読むことができました。

10代や20代(と言っても21歳の格闘家の方)に希望があるという発言は、当たり前のものであるし、自分を振り返ってみても小中高生の頃は確かに生き急いでいたと思います(とても良い意味で)。10代で大成した歴史上の偉人とか(クリプキ様は当時は知りませんでしたが、10代で様相論理の完全性を作ったと昨晩の生配信で紹介されていましたね)、海外の同世代の選手とか古今東西の天才たちと自分を比べる訳ですよね。私はサッカーをしていたので、ブラジルの同世代や子供たちと比べて練習中に泣いたり、ロナウジーニョ(ブラジル出身のサッカー選手)の動画を繰り返し観たり(多分youtubeの始めの頃だったと思います)塾の帰り夜中9時位に公園で裸足になってひたすらにドリブルの際に足のどこにボールが触ると動きやすいかなど、今考えるとあり得ないほどの執着でもの凄く小さいことに拘っていました。


(当時繰り返し観ていたスーパープレー集)


そのようなエネルギーのありったけをひとつに注ぎ込むこと、心のままに身体を動かすことは、10代の頃は上手くできていたように思います。

昨晩の生配信でも、10代20代前半の若者の吸収は速いと仰られていました。パターンであると。


まといのば本家主宰の記事を引用します。


    

「本気を出せば、結果を出せる」「おれはまだ本気を出していないだけ」「これならできる」と思えるうちは幸いなのです。若いのです。そのような勘違いがエンジンとなり、我々を遠くへ運んでくれます。そのときようやく圧倒的な才能や圧倒的な壁にぶつかります。


そのときは赤い彗星・シャア・アズナブルのようにつぶやきましょう。過ちは重要です。若さゆえの傲慢で突っ走ることで、自身の限界にぶち当たり、自分が何者でもないことに気づき、自分には可能性も、将来性も、才能もないことに気付けば良いのです(明らかに言いすぎですが)。


そして、こう続きます。


    

とことん気付いて、軽く何度も絶望したあとに、それでもなおやりたいと思えることを人生の主軸にすえ、あとはどうでもいいと流せば、その人は自分の人生と才能に忠実に生きたと言えるのではないかと思います。死と税金以外は相変わらず不確定な世界です。ささやかな才能、ささやかな将来性、ささやかな努力など、吹けば飛ぶのです。


そうであれば、早い時期に吹き飛びましょう。全力を尽くし、本気を出し、一瞬一瞬命を燃焼させ、そしてふっとばされる経験をさっさと済ませることです。それを何度も何度も。


自分は何者でもないということに深く気付けたあとに、何者(somebody)になる可能性が拓けます。



(『まといのば』本家主宰のブログより引用)



とことん気付いて、軽く何度も絶望したあとに、それでもなおやりたいと思えること


人生の主軸にすえる、即ち能力の輪として生きていく。

シン・気功Clubでの講義でも出てきた、Noの先にある能力の輪というお話(まといのば先生はこの様に仰ってはいません。お話の名前は私が分かりやすいように勝手に付けています)とも関連するように思います。

過去記事では、アランの幸福論を引用しながら説明されていました。

まといのば本家主宰の記事を引用します。


    

「仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこび」であるべきです。そして自分にとってそれは何なのかを探し当てることです。


そのためには幾千ものNoを繰り返すことです。


人から言われて仕事をしているときはまだ訓練期間であり、修行期間のようなものです。

自分がやる仕事は「自分で自由にやる仕事のことで、それはつまり、能力を示すわざであると同時に、能力が出ている源でもある」ものです。


我々は与えられた仕事をこなすことに慣れすぎていますが、それは仕事としてはフェイクであり、ただのお子様向けの練習問題でした。

これから本当の仕事をスタートさせるのですから、幾千ものNoを自分に突きつけて、本当のYesに出会い、本当のWant toに出会うまで徹底的に自己と対話し、作業を続けることかと思います!



(『まといのば』本家主宰のブログより引用)




一つ目の引用記事の最後にある、


自分は何者でもないということに深く気付けたあとに、何者(somebody)になる可能性が拓けます。
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」〜パガニーニとニュートン〜
(『まといのば』本家主宰のブログより引用)


というお言葉は、私達にとって大きな福音となると思います。



NOを突きつける。脳に突きつける。


Factとして脳に突きつけないと本気で捉えようとしません。

そのためには、虚栄の外套を脱ぎ捨てることも必要かと思います。

このことについては、後日書こうと思います。今回はここまでにします。


今回も読んでくださり、ありがとうございました。
またお会いしましょう。