前回→■流れ■③最盛期(1)検査前■2009.3.16-4.3

4月3日。ついに運命の分かれ道。
2度目の血管造影検査を行います。
とはいえ、医師からの説明で、「2度目」だということを知りました。
1回目は入院してすぐ、意識混濁状態の時だったので、
「あなたは覚えてないかもしれませんが、前に一度やった検査なんですが」
といって説明を受けました。

血管造影は、くも膜下出血においてはかなり有力な
戦力になる検査で、首か足の付け根から、動脈に
カテーテルを通して造影剤を注入し、脳の写真を撮ります。
詳しくは、また検査の項目で書く予定ですので、ご覧ください。

その日検査は午後行われました。
母は仕事で、夕方にしか来れなかったのですが、
「今日おうちの方は来られますか?」と医師や看護師が
口々に訊ねるので、その検査の重要性を
うかがい知ることができました。

検査中は半身麻酔をし、鎮静剤で眠った状態なので、
検査のことは覚えていません。

前回書き忘れた事ですが、筆者は毛細血管が非常に細いたちで、
点滴を刺しては漏れたり痛みがあったりして換え…
4月までの2週間で、末端からの点滴針の痕は20~30箇所に
及びました。
しかし、手術はおろか、動脈瘤の場所さえ見つかっていない状態で
点滴がその後も必要となるのは目に見えていたので、
点滴を、末端静脈ではなく、直接中心静脈に入れるカテーテル式に
変えることになりました。

4月3日、血管造影検査と時を同じくして、
その処置もされました。

最初は、カテーテルを入れる位置を、首のところではなく
足の付け根からにするといっていたのですが、
終わってみると首のところでした。。。
「首は跡も残りやすいから、足のほうでよかったね」と
検査前に言われていたので、少し残念ではありましたが、
しかし、あとあとになって考えてみると、
血管造影検査がこの2回目で最後という保障はどこにもなかったわけです。
前回と同様、場所も動脈瘤もつかめないまま、
再び出血が起きるか、もう一度造影検査をするか、
という可能性もあったわけです。
それを考えると、
1度目は左足、2度目は右足、同箇所にやるのは血管を傷つける
恐れもあるため両足交互にやると言っていましたから、
先を見越しての判断だったのかもしれません。
※点滴は静脈、検査の造影剤は動脈に注入します。



そして個室に移って4日目の、4月7日。
運命の宣告の時が…

いつものように様子を見に来ただけかと思っていたのに
まさに根耳に水な話でした。
医師は、落ち着いた様子で、話し始めました。
「出血の原因が、2回目の検査でようやくわかりました。
頭に、瘤ができているんですよ。
脳動脈瘤というのですが、それが破れて、出血したせいで
頭が痛くなっているんです。
その瘤は、ほっといてもあまりいいものではないので、
治療する必要があります」

「脳動脈瘤は、切ってもまた出血してしまうので、クリップで挟んだりして治療します。」

「手術は明後日、4月9日です」

ゆっくり、ゆっくりと反芻しながら、冷静でいながら、
なんだかいろいろ衝撃的でした。

まず、両親は私自身が気にしすぎてもよくないと思ったのか、
出血のことは口にしませんでした。
なので、入院して何日かして、医師が回診にきて、
「出血の原因がわかればねぇ」と言っていたのを耳にして初めて、
脳出血だったのか、という事実を知ります。
さらにその時、脳出血という言葉からくも膜下出血という言葉も
浮かびましたが、私自身、くも膜下出血が何かという知識もなく、
ただ、「死の可能性もある病気」という曖昧な恐怖しか
抱いてなかったので、くも膜下出血であるという事態も、
気づくのは本当に遅くなってからです。

だから、「脳動脈瘤」という単語が出てきたことも、
より一層不安を掻き立てる材料でした。
自分が「くも膜下出血」の患者で、くも膜下出血は脳動脈瘤破裂によって
引き起こされる、という知識すら、
その時の私にはありませんでした。
恥ずかしながら…

でも、医師に任せるしかないし、
命のことはあまり、気にはしませんでした。
治るための手術なのだから。
しかし、人生初の大手術。
えもいわれぬ不安は常に付きまとっていました。

そしてその日、両親が呼ばれ、別室で手術の説明を受けます。
最初に病室に来た時、自分からは口にはしませんでした。
そして話を終えて戻ってきた両親に、
「(話)聞いた?」と訊ねると、
「うん、やるしかないよ。手術して、よくなろう」
案外、落ち着いていました。
後々わかることですが、医師からの説明は、入院時に既にある程度は
されていて、
脳動脈瘤破裂の可能性、その場所を探るための血管造影
という予備情報は既にあったようでした。
話がいきなり飛躍して狐につままれたのは、
本人だけだったのかもしれません。

なんと~。。。
本人が気にするのをきらうのは、家族としてはわかる気持ちだし、
気遣いはありがたいのですが、
後から事実をわかるというよりは、知っておくことも、
「強さ」であり、「勇気」であると思います。


そしてだんだんと冷静さを取り戻した私が一番気にしたのは…
24歳の女子が脳の手術をすると聞いてまず
心配するのは…そう、髪の毛のことでした…

筆者のその時の髪形は、1月にかけてもらったばかりのパーマで、
ふわふわしていました。
それは、彼氏にやってもらった髪型でした。
私のお付き合いしている相手は、美容師だったのです。
その彼がせっかく、やってくれた髪型が、髪が…
不安は一気に髪の毛のことになり、
夜は更けゆくのでした…

次回→■流れ■⑤最盛期(3)手術前日■2009.4.8