前回→■流れ■②入院~検査■2009.3.16-

入院してすぐの血管造影検査で、出血場所や原因が特定できなかったわけですが、
しかし、筆者自身タフだとも思いますが、
なんと、それから3週間以上も、生き続けます。
破裂脳動脈瘤をかかえながら。

入院当初、飲み物は口から飲めませんでした。
飲むと吐いてしまうからです。
だから、ずっと「水ください」と言っていたそうです。
やっと水がもらえたと思っても、口の中をガーゼでしめらすだけ。

それも何日かして、状態が安定してくると、
次第に解除されたようですが、細かくは覚えていません。

入院した次の日には脳外科の病棟に空きが出たので入りました。
そこは手術後の患者の経過観察室で、ナースステーションは目の前、
壁も一部が窓になっていて中の様子がわかるようになっている、
という場所でした。

数日後、
飲み物から、ゼリーのようなもの、そして食事、
と、3月後半になるにつれて、次第に、
回復していくかに見えました。

しかし、病気の根本的な原因は消えたわけではありません。

毎日ずっと頭が痛く、とにかく「痛い」としか言ってなかったと思います。

薬学に詳しくないのでよくわかりませんが、
点滴薬で、脳の痛みを和らげてくれる、
即効性のある強烈な薬がありました。
それを、延々と欲し、しかし1日3回しか使えないので、
その間を、座薬や飲み薬の鎮痛消炎剤(普段リウマチ治療で使っているもの)
を使って痛みをごまかしていました。


ちなみに術後経過観察室は、男女共用でした。

寝たきり状態なので、
バルーン(尿管に管を通して尿を出す医療用品)やおむつなど、
お下の世話も看護師さんに頼るしかありません。
ちなみにお通じに関してもベッドの上で薄い便器の上で。。
いくら、人よりは肝が据わっているかもという筆者でさえ、
やはりいい気はしませんでした。

それで、お願いして、ようやく部屋を移れたのが3月31日。
女性の4人部屋に移れたものの、
そんな日に限って、体調悪化。
夜、全身震える高熱が出て、
汗をかいているのに寒い。そんな状態でした。
それをリウマチが悪化したせいだと思い込み、
ずっと、「リウマチの先生を呼んでください」
「リウマチの薬を再開してください」と言っては呻いていたため、
あえなく、部屋を元の術後経過観察室に戻されました。

翌4月1日。先生が来たら、すぐ言うから、といったものの、
リウマチ科の先生が来たのは夕方。
病院というのは、入院したらその病棟の主治医の指示なしには、
別の先生が見るということはできないのです。
主治医がOKを出して初めて事が進む。
もちろん、大事においてはそうも言ってられませんが…
とにかく、この日は苦しい夜でした。

そして2日後、4月3日。
運命の分かれ道。2回目の造影検査を迎えます。


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