★前回→■流れ■①倒れた当日のこと■2009.3.15-16

3月16日、倒れた翌日のことですが、なんと電車に乗って出勤してしまった筆者。
しかし、なにを思ったか、夕方、また彼の家に戻りました。
夕方、途中の電車内で彼に送ったメールが残っているだけで、
記憶はほとんど残っていません。

恐らく、その日も泊まることにしようかと思いつつ、
リウマチ(既往症)の薬の持ち合わせがもうないことで、
実家に帰ろうとしたのだと思いますが…
帰ろうとした時間帯が遅く、そして私の体調があまりにもよくないので、
彼が、彼の旧来の友人にお願いしてくれて、車を出してもらいました。

その時も、意識ははっきりしていたそうで、きちんと道案内していたそうです。
本人はまったく覚えていませんが。

そして、自宅の階段を、彼の肩を借りながら上がり、
事情説明。
というか、既に、帰る前に母親に電話を入れていたようです。
話した内容は覚えていません。
体調が悪いこと、これから帰ることを伝えたのだと思います。

もちろん、父親はお冠。
ただ、時間も時間なので、早々に彼と友人には帰ってもらいました。
その時、私は、玄関で彼に「だいじょうぶ?送ってくよ?」と言ったそうです。
自分がいま送ってきてもらった状態で、そんなこと可能なわけがないのに…
その時点で脳はやられていたようです。

彼が帰った後、ずっと頭が痛いという私を見て、父母が、
病院に連れていくことを選んでくれました。
2年前、髄膜炎から脳炎になりかかったときと症状が似ていたからです。
救急車を呼ぶか、父の仕事車で行くか迷ったそうですが、
救急車を呼びました。

階段の幅が狭いので、担架ではなく、座ったまま複数人で持ち上げる
椅子のようなもので階下まで運んでくれたそうです。

入院時の恰好はおそらく、その日着ていたものそのままで、
靴も少しだけヒールのあるもの、そして自分のバックも持っていました。

2年前と同じ病院に搬送、救急受付の処置室で
たまたま当直でいた先生がリウマチ科の先生で(普段の担当者とは別人)、
2年前のことも親が事情を話したのでしょうか、
同じものを疑う方向で、まず、腰椎穿刺(ルンバール)で、髄液を調べました。
そうしたら、その中に血液が混じっていたので、
髄膜炎とは違うものだぞ、脳出血だぞ、ということで、
脳外科のほうに回されることになったのでした。

恐らく夜中の0時とか1時とかは軽く廻っていたと思うのですが、
いろいろな検査は、翌日朝まで及んだそうです。
その間、一睡もせずに待っていてくれた両親。
しかしそれは不安の第一歩でしかありませんでした。

朝になって一度、入院の荷物と朝食を取りに家に戻った両親。

実は、丁度日を同じくして、私の実の姉も、同じ市内の病院に入院していたのです。
姉の場合は、里帰り出産なので、喜ばしい事ではありますが、
3月16日、午前中に姉が入院。
同日深夜、妹が原因不明の頭痛で入院。
親としては、気が気じゃありませんよね。。。

3月17日朝、一度家に戻った後、大きな荷物を抱えて
姉の病院に顔を出した両親に、姉が不審がるのも当然のことです。
姉には隠しても仕方ないので、ありのまま入院の旨を伝えたそうです。

それから3日間位、両親ともに、私の病院にずっと通い続けてくれたそうです。
その3日間位の記憶が、さっぱりありません。

ただ、3月17日の朝はやはり、意識はあったようで、
彼にいつもの通りケータイからモーニングコールをし、
職場の人に、入院の旨のメールをしていました。
そこらへんの責任感のようなものだけで、
その時は起きていたのだと思います。
しかし、メール本文に記載された病院名は、なぜか
姉の入院している病院になっていましたが…。。

※入院初日は、病床が空いておらず、有料個室でした。
現在の病棟でのケータイ事情は、
寝たきりなどで病床から離れられない人もいますので、
ペースメーカーなどの医療機器を使っていないエリアでは、
メールくらいなら、暗黙の了解になっています。
(私の入院した病院だけかもしれませんが)

入院してすぐに行った検査の中に、
血管造影検査がありました。
詳しくは又検査の項目で記事を書きますのでご覧ください。
足の付け根のところから、動脈に直接カテーテルを通して
造影剤を入れ、動脈だけが赤く浮き立ったような写真が
撮れる検査です。
その1回目の検査では、出血原因であろう、動脈瘤は見つかりませんでした。

そしてそのまま、見つからないまま、なんと、2週間以上も、
時間はすぎます…

次回→■流れ■③最盛期(1)検査前■2009.3.16-4.3