











人生において、ずっと幸せが続く人は誰一人いない。
私は20代、不幸や苦労が凝縮したような生活を送っていた。
周りを見れば羨ましく、「何で自分だけ」と思ったことも一度や二度ではない。
親を恨んだこともある。
しっかりした親のもとに生まれていれば、兄弟が早くに亡くなることも、親の泥沼離婚に巻き込まれることもなかったと。
そんな苦しい時代を越え、私もアラフォーになった。
今思えば、先に苦労をしておいて良かった。
多少のことでは動じないし、苦難を乗り越えたり、避けたりする知恵も付いた。
何よりも、困難に出くわしたときに「あれよりもマシ」と感じることができる。
家族の死とか、骨肉を争うような揉めごとは、普通は40代や50代になって経験する人が多いのではないだろうか。
それを私は20代で経験し、30代はがむしゃらに働いて、残された家族の生活まで整えることができた。
来年で40才になるが、大好きな仕事に打ち込んだり、気の置けない友人とビジネスを考えたりと、自分の人生を楽しむことができる。
20代を犠牲にした、とまでは言わないが、自分の人生を投げ出したくなるくらい辛い時期はあった。
先に苦労した分、今から幸せの回収に走る。
これからも全てが順調にいく訳ではない。でも、若い頃みたいに全面で不幸を受け止めるようなことはせず、うまくかわしたりもできる。(と信じたい笑)

私は変わっている。
だから大学も一般入試ではなく、自己推薦という枠組みで入学した。
大学の教授が「見た目は普通の女子大生なんだけど、すごく変わってるよね」と私のことを語っていた。
大学時代は文化人類学の魅力にはまり込み、教授から大学院を勧められるほどであった。
文化人類学なんて、学部生から院に進むのは、5年に1人くらいの割合だったと思う。
それくらい私は変わった人間である。
そこを無視して(たまに忘れて)、普通の人のように働いたり、普通の人のように結婚したいと思うと、必ず失敗する。
普通にはなれないのである。一般的なレールに乗ると絶対にうまくいかない。
特性というか、個性というのかは知らない。
そこを理解して割り切れば、私はニッチなところで生きていける。
ニッチな分野は人と重ならず、需要も結構あったりする。
でも、たまに「普通の人の幸せ」に憧れる。
普通でないから、そのやり方で幸せになるわけがないのに笑
前提を受け入れて、そろそろ「普通」とおさらばする勇気を持とうと思う。
