『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』という本に、羽生善治さんが講演や対談で話したことが書かれている。
人間、誰でも生きていれば大きな決断に迫られることがある。
棋士である羽生さんは、将棋を通じて一般人の人生を凝縮したような決断を若い時期から経験している。
勝負師としての経験から語られる言葉は非常に興味深い。
本の中で「長い物差し」「短い物差し」の話が出てくる。
これは経験から得るものであり、物事を習得するのにかかった時間が基準となる。
短い物差しだけではなく、長い物差しなど、目標に挑むためには、様々な種類の物差しが必要であると説く。
受験や資格の勉強をしていると、短い物差しだけが価値であるかのように錯覚する。
「現役合格」「一発合格」「短期合格」と、塾や予備校を中心に短い物差しの視点で煽り立てる。
もちろん、短い時間で結果を出せる力は高い能力だと認める。(負け惜しみではなく…)
日本では、「医学部9浪です」なんていうと、注目を浴びるが、これは多様性の少なさの証である。
海外に目を向けると、社会人を経験してから大学に入る人もたくさんおり、年齢だとかチャレンジした数で珍しがられる傾向は少ないはずである。
不合格が続くと、早く合格した人間が正しく価値があり、自分がどうしようもない人間に感じることがある。
ダメだった経験のおかげで、自分は長い物差しを手に入れられるんだと信じていきたい。(これは負け惜しみ)