20代前半、私のメンタルは脆弱であった。
社会生活に異常を来し、医療機関にかかっていた。
幸運なことに、毎回1時間たっぷりカウンセリングをしてくれる先生に巡り会った。
カウンセリングというと穏やかなイメージかもしれないが、なかなかキツいものであった。
先生が厳しいとか荒々しいということではなく、メンタルに問題のある人が現実に向き合うことは非常にハードだということである。
私の場合、生育環境も影響しており、発達段階で獲得するはずの精神的な耐久性が年齢相当ではなかった。
「心にある焼石がバチバチ弾けて飛んで、自分では処理できず、もう無理死んでしまうって今は思うんでしょう」
当時の私は、医師に言われた通りの精神状態であった。
弱いメンタルでありながら、家族から生じる問題は、一般の家庭のものとは違うレベルのものだった。
回復していない心の中で焼石がまた暴れる。
「もう一人の自分を立ち現わして」
「その自分がもう一人に、熱くて嫌やな、石が暴れて辛いな、耐えられへんなって声をかけてあげる」
宗教やスピリチュアルではなく、自分を客観視できるようになることが目的であった。
通常であれば、自分を客観視できるようになる前に、親がその役割を担う。
泣いてる我が子に「痛かったね、怖かったね」と声をかけることで、状況を一歩俯瞰して見る力が子どもにも付いてくる。
そのステップがないまま成長した私は、物事1つ1つに狼狽して、他人や家族の言葉に傷つくだけであった。
カウンセリングを繰り返しながらも、すぐに心が強くなる訳はなく、私は格闘していた。
治療はずっと続けたかった。
だが信頼していた医師は高齢であり、癌に冒されていた。
病院の予約も次第にとれなくなり、しばらくして先生が亡くなったことを知った。
あれから15年が経った。
先生の治療の成果だけではなく、年を取って感情が鈍くなってきたこともあるだろうが、家族のことにも動じなくなってきた。
周りの友だちが新社会人として活躍する中、悔しさと情けなさで涙を流しながら病院に通っていた日々が懐かしく感じられる。