エルヴィス 別冊太陽 1999
1999年発行の別冊太陽だからもう27年前の当時のエルヴィスの情報だから、
古いかもしれないが、ショック情報としては意外性もあるかも‥‥‥。
エルヴィス、ショック、ショック、ショック、‥‥‥‥‥‼‼‼‼‼‼
そしてライブ・コンサートも解禁になって、この年行われたライブは破格の
ラスベガスの巨大ホテル・ニュー・フロンティアでの4週間出演予定の契約だったが、
娯楽都市のギャンブルの町ラスベガスではロックン・ロールは受け入れられず公演は、
2週間で打ち切られてしまった。このことにエルヴィスは大ショックを受けて、以後
1969年まで13年間のラスベガスでは歌われなかった。
二つ目はフロリダ州の公演で少年裁判所員が立ち合いで見張って、1回目のショーの
後エルヴィスに面会し腰をくねらせること,突き出したりする歌は10代の観客に
とって有害だといって、普通に歌うことを命じた。そしてエルヴィスに逮捕状まで
用意されたので、次の2回目のショーでは指をピクピク動かしただけで、判事を
からかった。このエピソードはエルヴィ自身が「カンバッック・スペシャル」の中
でも語っている。
エルヴィス、ショック、ショック、ショック、‥‥・‥‥‥‼‼‼‼‼‼‼‼
米国のキリスト宗教団体や宗教家の父母達がプラカードを手に持ってロックン・ロール
反対のデモ行進したり、子供たちの大事なエルヴィスのレコードをとり上げて暖炉で燃や
して仕舞う親もあった。これにはエルヴィスもショック、敬虔なキリスト教徒なのに!?!?!?


そんなエルヴィスもすでに数100万ドル稼ぎだしている。しかしそんなエルヴィスも
1957年7月メンフィス郊外ホワイトヘイブンに 〖グレイスランド〗 を10万ドル
でアメリカ南部風、白亜の豪邸を購入、庭、敷地は、広大で生涯の本拠地として落ち着く
ことになる。(今はエルヴィスの記念館になって、世界中からファンが一度は尋ねるのが、
ならわしになっているようで、仙台からも行かれている方がいられる。羨ましい。)
ティーン・エイジャーからは狂喜乱舞の圧倒的な支持得たエルヴィスだったが、大人達かは、
社会を堕落させる、ロックン・ロールが、エルヴィスがその攻撃されるやり玉にされた。
そんな大人達がエルヴィスに理解を示す様になったのは、陸軍入隊だった。米国市民として、
徴兵義務を果たすことが、特別隊遇も一切受けず、一兵卒としての通常の軍務に服すことで、
国民に好印象を与えていた。しかし最愛のママのグラディスが46才で亡くなるというショ
ックがあって、急きょ帰国したが、エルヴィスにとって、これ以上のショックはない、本当
に涙を流した。それでも駐屯地にドイツへ向かった。そしてりりしい軍服姿は、賞賛にあた
いする、その間に新作映画《闇に響く声》が公開されLP,EP,シングルが立て続けに発売され
ヒット・チャートを賑わいさせて、エルヴィスは除隊してパフォーマンス・イメージを一変
させた。そのテーマから新作映画「G.Iブルース」をこれまた大ヒットさせている。
捨てる神あれば救う神もあって、遂に1959年のクリスマス近くに、なんと14才の
プリシラ・ボーリーと出会って一目惚れ。たちまち〖グレイスランド〗に住んで一人で
お庭をおサンポ。ベット・ルームでは、おアソビに徹して⁉⁉⁉、イチャイチャだけ‥‥
ママの死と未来の妻をモノにして、悲しみと喜びの両極端を味わいながら、人間的
に一段と成長を魅せた、エルヴィスはまだ若い,………‥‥・‼‼‼‼‼‼‼‼

