ELVIS は生きている | JOSE❛n❜GEE   Party club

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エルヴィス 別冊太陽1999 

              2回目

 

  

           エルヴィスのショック、ショック、‼‼‼


エルヴィス、反逆の革命児はもう既に若者たちには大騒ぎと、狂喜乱舞の失神騒ぎまで起こ
しているが、一般の保守的オヤジ達大人達には、全く許せない恐らくロックン・ロール
と言う悪魔の歌の様で(白人の黒人に対する言い訳)には勘弁ならない、又ケギライして
許せるものでなかった。エルヴィスは相当に浮き沈みの真っただ中にあって、ひどい時は
奈落の底に、突き落とされる羽目に、ショックで落ち込んでしまうこともあった。
当時のアメリカ社会と言うところは保守的で、日本じゃ信じられないほどだった。
例えば、サム・フィリップスですら「ニグロのサウンドと(サムが本当に使っていた言葉)
白人歌手と黒人と白人がミックスした、フィーリングを持った白人が出てきたら、百万ドル
は稼いで見せるのだがな~~‼‼」この言葉は本当に誰も今まで考えたことがなかった
アイデアだったが、誰も賛同できないことだった。ただエルヴィスにとってはサムに歌を
聞いて貰ていたが、もっと別の歌い方をしなければ大成しないと、OKを中々出してもらえ
なかった。若い最初のエルヴィスにとっては、ショックだった。


1999年前のレコードやCDですので、廃盤もあるかも知れません、ご了承を下さい。


1,954年にはナッシュビルで開催された、ラジオで放送された出演したエルヴィスは、
伝統的因習的なカントリー界において異端視された。「ザッツ オール ライト」と
「ブルームーン オブ ケンッタキー」を歌ったが、ミュージック・コーディネイター
のジム・デニーから「もうトラック運転士に戻った方がいい!」と通告されたエピソード
の言葉にエルヴィスは大いにショックを受け立ち直るのに何日もかかったと言われる。
一方、同年には今度はルイジアナ州KWKH局「ルジアナ・ヘイライド」出演し、同じ
カントリー番組でこちらは若い聴衆にとって大人気を博し、約1年間定期出演として、
更に55年には同番組のTV中継があり、地方局とはいえロング出演として、「ルジアナ・
ヘイライド」の出演の実況録音もCD化され観客の熱狂ぶりと、エルヴィスの若い頃の
パフォーマンスを聴くことができた。


エルヴィス、ショック、ショック、‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼
そして、そして1955年には、トテツモナイ人気に煽られて、大手レコード会社RCAが
3万5千ドルと言う前代未聞のトレード・マネーで移籍した。更にボーナスとして5千ドル
が追加された。今では金銭レートが幾らかわからない位、巨額だったことは確かだ。
エルヴィスは身震いしたはずだ‼‼‼‼‼‼‼‼
56年TV局CBS,やNBC局は相次いでTV出演ライブ・ショーを繰り返して超絶的に
TV人気は博していた、当時のアメリカでも凄まじかったが、CBSの《エド・サリバン・
ショー》だけは、エド・サリバンだけは、お高くとまったショーしかやらない「絶対に
エルヴィスだけは下品だから使わない‼‼」と拒絶していたが、他局の余りの人気に押
されて出演させたところ、何と視聴率は83%以上になり、3回も出演して5万ドルづづ
出演料は跳ね上がっていった。エルヴィスはそれでも腰のフリフリぶりはワイセツだと決
めつけられ、下半身はTVには映らないようにして、上半身だけにしてエド・サリバンは番
組の終わりにそれでも「エルヴィスは礼儀正しい立派な好青年だ‼‼」とセイッパイ
のオセイジで締めくくった。おせいじとTVの前の各家庭の大騒ぎで、若い者たちは、更
さら盛り上がった。「エド・サリバン・ショー」はアメリカでは有名人気番組。
当時日本ではTV番組中継は全くの(ゼロ)で、相当後になってDVDで観られることに
なる。(DVDで売られてるのを観ると下半身のセクシーなトコロはやはり見れない。)
エルヴィスのショック、ショック、‼‼‼‼‼