『ジィ~ン!ウェント ザ ストリングス オブ マイ ハート.
The Coasters ザ コースターズ』
≪Cover song カバーソング≫
≪Cover song カバーソング≫は、日本にだけ通用する言葉と思ったが、
アメリカでもよく使われているワードでした。
60‘sアメリカで≪cover song≫を最も多くを自らのモノにして歌ったビック・シンガーは、
我らの(‼‼)エルヴィス・プレスリーなのです ‼‼‼
そして‥‥.
1938年の相当古い映画「リッスン・ダーリン」。主演は当時15~17才のジュディ・ガーランド。彼女は日本では未公開だが、アメリカでは7才の子役当初から有名だった。ジュディ・ガーランドは挿入歌“Zing!Went the Strings of My Heart”を、映画のタイトル・コールから歌っている。それは、アドケナイ少女らしくユッタリしたバラッド曲。(ジュディ・ガーランドはその後の「オズの魔法使い」で日本でも大ヒットした映画に主演し有名になった。)
この曲を1958年にDoo-WopグループのThe Coasters(ザ・コースターズ)が掘り出した。しかもボーカル4人に加え、今まで歌ったことのないバックのドラム演奏のアール・ヤングと組んだ。それはとんでもない最低音域のバスでリード・ボーカルをとり、ジュディ・ガーランドとは全くの別物の、まるでマッチョ男のリズム&ブルースの歌にしてしまった。
ちなみに“Zing!went the Strings of my heart”を和訳すると、“ジィ~ン!と来た私の心のストリングス”(何のことない直訳だよ!?)♪♬ジン・ジ・ジ・ジ~!♬ジン・ジ・ジ・ジ~‥‥!オウ,ヨウ,スマイリン~…Oh,Your Smiling…‼‼‼
ザ コースターズは少女のユッタリしたバラッド曲をアレンジし、マジックでとんでもない曲にしてしまった。
(これらの“Zing!…はYouTubeでJudy Garlandのいくつかの年令での音楽動画、彼女以外のシンガー、幾つものグループもイッパイ見られます。 ディスコ・スタイルも有り、大御所フランク・シナトラまで歌っています。)
アメリカン・ポップスは、一つの曲を作詞作曲したら、誰に歌わせたら一番ヒットするか、又ソロ・シンガーの何人かに歌わせて競作させる、それから日時をずらし、アレンジもテンポも変えてアトモスフィア(atmosphere=雰囲気)も変えたりして、要はヒットして当たったら、いかに儲かるかそれがビジネスというものだ…‼‼というやり方。ドライなアメリカン・エンターティメント‼‼
そして更に古い曲も掘り起こしてヒットさせることも、よく行われる手。アメリカは「なんでも有り‼」でしょう‼‼ これもアレンジし、マジックのテクニックで腕の見せどころ。
すでに名をなしていた、エラ・フィッツジェラルドは40‘sから歌っていて、ポップス,ジャズ黒人女性歌手でレジェンド。わたしは今でも忘れられない。彼女の古いオリジナル曲『マイ・ハッピネス‟My Happiness”』を60‘sポップス・オールディズのコニー・フランシスがカバー。ニュージャージー州生れの移民、イタリア娘である彼女は、声量のある高音,低音を一人でオーバー・ダビング(二重録音)して歌ったのです。
日本でもこれは大ヒット。とてもハーモニー豊かな曲になっていて、コニーはこの素敵なスタイルで何曲も歌っているのです。
そして我らの(‼)エルヴィスも『マイ,ハッピネス』を歌っている‼
18才でサン・レコードへ行ってママにプレゼントするために、初めて自らの歌をレコードにした曲が『マイ ハッピネス』
その他にもエルヴィスは最も多くの≪cover song≫を自らのモノにして歌った
スーパー・ビック・シンガーだと言うことです