前回、「コンベア880 という飛行機、結果的には事故の多い飛行機で不評」と書きました。
(同型機 : Airliner net より)
手元に詳細な航空事故調査報告書が無いので、自分で知りうる範囲での事故の状況を書いておきます。
操縦にあたったパイロットはこの4発ジェット機の機種限定変更のための航空局の試験を受けていました。
その科目の一つが、離陸中のエンジン故障故障を想定した時の対応です。
どの航空機の試験でも行われる科目で、離陸加速中に離陸決心速度 (Takeoff decision speed) =V1 の手前ならば離陸中止の操作をし、V1以上であれば離陸継続します。
この離陸時の判断と同時に、エンジン停止による推力の左右のアンバランスが生じて機体は偏向するので、方向舵(rudder)による修正操作が必要になります。
当該事故は右外側エンジンの推力低下に対応する修正操作が不適切であったと推察され、離陸継続で機首が浮くと同時ぐらいから滑走路左側に偏向しながら傾き、左外側エンジンが滑走路に接地、滑走路を逸脱すると共に機首が下がって左側の主輪と前輪、およびすべてのエンジンが分離し、胴体接地状態で爆発炎上したものです。
乗っていた日本航空の乗員4名と航空局の試験官の計5名が亡くなりました。
コンベア880は、日本航空では1961年から1970年にかけて、リース機も含め合計9機が使用されています。
しかし
1965年2月、壱岐空港で訓練時着陸復航中に滑走路端接触墜落事故、全損、2名負傷。
1966年8月羽田空港での炎上、5名の死亡事故 (この記事)。
1969年4月、大阪国際空港(伊丹)で着陸時滑走路逸脱事故、小破、旅客2名負傷。
1969年6月、米国モーゼスレイク、グランドカウンティ空港訓練離陸中事故、全損、3名死亡2名負傷。
と9機中3機が全損で事故比率の極めて高い事が特記すべきです。
伊丹以外は訓練または試験中の事故である事にも注目です。
日本航空では、1952年から20年間旅客死亡事故を起こしていないとされていますが、実は乗員訓練中の死亡事故は仙台の基礎訓練機のものも入れて3件あります。
そして1972年および1977年の連続事故に至るわけですが、それ以前から死亡事故にはならないまでの事故もいくつかあり、不安な前兆はあったように思われます。
Convair 880の飛行特性はどうだったのでしょうか?
メーカー販売戦略で他社のジェット機よりもやや高速である事を謳っていますが、開発に無理はなかっただろうかという疑問が起きます。
この機種はライバル機に比べ、狭い客席と航続距離の短さもあり、エンジンは軍用機のものを転用しています。
合計67機しか生産されていません。
その全損事故に関するデータベースです。
https://aviation-safety.net/database/types/Convair-CV-880/losses
17件、これほどの事故数はその時代ということを考慮してもあまりに多すぎます。
上記羽田空港とグランドカウンティ空港の2つの事故は同じように乗員訓練(審査)中に、エンジン故障を想定した場面で起きています。
しかも他の会社の事故でも離着陸中で起きていいるものが多く、同じように訓練中の事故が複数あるということは?
離陸中のエンジン故障に対応するパイロットの操作は大体どの航空機でも同じです。
しかし何故にこの飛行機には多いのか?
飛行機の特性として、訓練さえすればどのようなパイロットでも、特別難しい操作を必要としないように作られるべきですが、この飛行機は浮揚できるかどうかの低速時には場合によっては微妙にパイロットの意思通り動いてくれなかったのではないか?
そのような先入観を持って飛行機を語るべきではないと思いますが、個人的にはそんな疑問さえ持ってしまいます。
(続く)
参照