そこで、わずかな記憶を頼りに、近所の図書館で探して見つけたのが『小僧の神様/城の崎にて』(新潮文庫)です。思い出の一節はこの志賀直哉の中期短編集に収められた『焚火(たきび)』という作品中にありました。

 この短編集は実験的な作品が多く、「志賀直哉=余り筋のないエッセイ的な文章を書く心境小説家」というイメージからは隔たりがあります。世間では高校の現代文の教科書によく掲載されている表題作の『城の崎にて』の印象が強いのではないでしょうか。『城の崎にて』は確かにそのような作品ですが、それもあくまでも一つの実験として試みられているように思います。

 ということで、これからこのブログの読者の皆さんと一緒に、この短編集の中で特に『焚火』にフォーカスを当てて読んでいこうと思います。

 書き出しは次のようになっています。

 

 その日は朝から雨だった。午(ひる)からずっと二階の自分の部屋で妻も一緒に、画家のSさん、宿の主(あるじ)のKさん達とトランプをして遊んでいた。部屋の中には煙草の煙が籠(こも)って、皆(みんな)も少し疲れて来た。トランプにも厭(あ)きたし、菓子も食い過ぎた。三時頃だ。