元受刑者の ちょっとだけスピリチュアルっぽいこと -4ページ目

元受刑者の ちょっとだけスピリチュアルっぽいこと

以下のブログに統合することにしました。よろしければ引き続きお付き合いください。
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出所しました。
これからどうしようかな。

問題(と思われるl事)が無くなった訳ではない。

なんなら、また新たな心配事見たいなものが現れている。


そんな今日、「悩んでいるという事を認めよう。」 という言葉が思い出されて、ふっと軽くなった。


いつどこで読んだ何の本から学んだ言葉かは、とうてい思い出せないが。

忘れっぽくても、結構頭には残っているものなのだ。



これが、感情を客観的に見てみる、ということなんだな。
さらに自分を認めてもいる。


客観的に見ていると、自分が 「今」 だけに存在していることも実感できる。



そうしているうちに、「無駄なものはない」 ということにも気づかされる。

この問題(と思われること)によって、自分の(負の)感情とつきあう術を会得することができたのだ。



誰に対して、という訳ではない、ただ「ありがたい」 という気持ちがわいてきた。


 

新幹線に乗ったり、高校野球を観たりして、それで物理的に何かが変わったわけではないのは重々承知している。



しかし、帰り道、足取りが軽くなっているのに気づいた。


数日前まで考えただけで気が滅入っていた、これからやらなくちゃならない(と思っている)事に対して、なんとかなるのかも、という気持ちが大きくなってきている。


行ってよかった。


出所直後だからとか、やるべきことがまだまだあるからとか、行かない理由はいくらでもあった。


そんな時、「やりたいと思うことをせよ。」 という、今まで読んだ本の中に、これまたよく出てきたフレーズが思い出されて 背中を押してくれた。



別に仕事につながるというわけじゃなくても、これからの人生を左右するような何かが見つかるなんて期待をするようなことでもないけど、ただのレジャーだけど。

そんなこと考える必要なんてなくて、ただやりたいと思ったことをしてみればいいんだ。


本当に。



確実に良くなっていることを実感しながら、今日もネットカフェにて。
 

甲子園に行ってきた。

甲子園は今や連日満員である。

何万人もの人で埋め尽くされるスタンドでも、そこにいる人の数だけ、それぞれの甲子園がある。



どちらかのチームを声を枯らして応援する人、

ただぼんやりとビールを片手に俯瞰で甲子園の雰囲気を楽しんでいる人。

そのビールを売っている子。

かちわり を売っている子。

近くに住んでいるので、気軽に訪れた人。

毎年楽しみに泊りがけで来てる人。

彼女とデートで来た人。

息子の付き添いで来た親御さん。


初めて来た人。

毎日来ている人。

飽きちゃってる人。

野球が好きでたまらない人。

本当は野球にはいい思い出がない人。

県予選で負けちゃった球児。

明日試合する予定の球児。




こんなにたくさん人がいるのに、誰一人同じようにこの球場を見てはいない。


テレビを見ている人たちも、ネットで試合の経過だけ追っている人も。


それぞれが、それぞれの世界で、それぞれの見かたで楽しんだり、そうでもなかったり。




自分がこの現実に対して感じているこの感覚、見かたは間違いなく自分だけのもので、

世界中どこを探しても全く同じ世界観を持っている人はいないんだ。


そう思うと、目に見えるもの全てが愛おしく思えてくる。

 

昨日は一度心が軽くなっていったのを実感したのだが、今朝目覚めると、その感覚が薄れていた。

しかし、昨日の朝よりは現実に対して感じる恐れや不安は確実に減少している。

このように、一歩一歩進んでいくのだろうか?


できることなら 一瞬にして 楽になりたい、というのが本音ではある。



そんな中、こうしてキーボードをたたいて内側をアウトプットしているときは、心穏やかである。


集中して、現実(と考えているもの)に意識が向かなくなっているからであろう。

しかもなんだか ウキウキ(ワクワクでもよいが)する。


現実なんて、こんなもんなんだろう。

ちょっと意識がそれただけで、違って感じられて、心配事 が実際にはあるかどうかもわからない(たぶんない)俗に言う 「幻」 だと見抜くことができる。

このキーボードを叩くことの集中は、瞑想 で意識を内に集中するのと同じなのだろう。


現実というのは捉え方次第、とさかんに言われているが、全く持ってそのとおりである。


というか、捉えなくてもいいんだ。


集中して、意識を心配事から外すだけで、全く違う景色が見えてくる。

冷静になって、問題が問題でないと見破ることができる。


しかも、集中しているということは、きっとそれがやりたいことだからであろうから、「やりたいことをやる」 というよく聞く言葉にも対応している。


「やりたいことをやる」 というのは、こういう意味でも大事なことなのだ。

こうした小さな「やりたいことをやる」の積み重ねで、勝手に考えていた不必要な「世間体」や「常識」を見破りつつ、今はまだ見つかっていない「本当にやりたいこと」が見つかってくるのかもしれない。


そう思うと、今日もまたひとつ心が解放された。

刑務所帰り、40代後半にして仕事のあてもなく、家族も持たず、人生に不安しか感じない。

しかし、今の自分の状況は自分で引き寄せたもの。
まずはそれを認めてみよう。


薬物を使用していた期間もその前も、確かに不安しか感じてなかった。
捕まりたくない、仕事なんかできる状態じゃない、と

ちゃんとそんな不安は今現実となって目の前に現れていた。


引き寄せの法則は確実に、私にも平等にはたらいていた。


であれば、引き寄せで著名な方々のごとくやりたいことをやって、幸せに生きていくこともは、当然自分にも可能である。



現在の状況を自分で創ったことを認めると、逆に希望がわいてきた。


希望を感じると、考え方にも影響が出る。

現状の中にも悪いことばかりではない。

仕事をせずとも、しばらくは生活していくだけの財力がある。

母親は、自身居心地の良さそうな施設に入ることができて、ほぼ手はかからないし、以前よりずっと幸せそうだ。

自由がある。刑務所にいた経験があるから、強くこの自由を感じることができているのだろう。

片付けはなかなか進まないものの、帰るべき家がある。
家以外にも帰れる友人宅がある。


これから自分がどうなっていくか、いきたいのかは自分で選ぶことができる。

人間って単純だなあ、と思うが、こういったことを意識して考えるだけで幸せを感じ、心軽くなっていくのを実感できる。


ここから自分の人生がどう変わっていくのかを楽しみに生きていこう、と心に決めた。