元受刑者の ちょっとだけスピリチュアルっぽいこと -3ページ目

元受刑者の ちょっとだけスピリチュアルっぽいこと

以下のブログに統合することにしました。よろしければ引き続きお付き合いください。
https://ameblo.jp/saitamadaihyou

出所しました。
これからどうしようかな。

前述の同級生が、LINEのグループ内に

度々空気を読めない発言やら 自分本位なコメントやらを投稿してくるので

いい加減頭にきていたのですが



彼にも彼なりの人生があって、彼だけの境遇や経験が今の人となりを作り上げているのだから、と

それに、彼も自分の発言に責任をもって、それなりの覚悟のうえで投稿しているのだろう、と。

それを否定することは、彼の人生を否定することになってしまう、と。

だいたい善も悪もそもそも存在せず、人がそれに対しそういった意味を与えているだけの話で

そういったコメントがただ彼から発せられた、ということだから

イライラしたりする必要なんてないんだよな、と。



しかも自分は悪いことして捕まって、たくさん迷惑かけたんだから、彼に意見するなんて百年早い。



とまあ、いろいろ自分に言い聞かせたところで 落ち着ける訳ではありませんでした。

許せない自分を許せなくなってきたりもして。


しかし 実際問題、生きていれば嫌悪感や拒絶感というのは抑え込める類のものではありません。



感情も存在すべくして存在しているのでしょう。




さてそこで、無い知恵を絞って編み出した作戦。



ウザいコメントにいちいち反応せずにやりすごせたら

徳を積んだ、ということにして そのたびに1ポイントゲットする



というルールを自分に課しました。


たまったポイントから得られる(とされる)ご利益は、同志で分かち合う、とも設定して

ちょっと周りを巻き込んじゃいました。

イライラしていたのは私だけではなかったので。



すると、今日から 彼のコメントが待ち遠しくなってきました。


彼が悪いわけではなく、私と考え方で違う部分があるだけのこと。

私にもいろいろあったように、彼にもいろいろあったんだろうな


なんていうおおらかな気持ちにもなってきています。




出会ってからおよそ30年。

我々が話す内容のくだらなさは、あの頃のままです。


おおらかになって そんな仲間がいてくれることに あらためて ありがたく思えるようにもなってきました。

大学の同級生が 自分の名前のせいで、これまでいかに不利益を被ってきたか

そんな名前をつけた親を怨む旨の主張をしていたのですが

それに対して強い違和感を覚えたものの、私も受刑中に亡くした父親には敵対心しか持っていなかったので

何とも言えない悲しさだけが残りました。

(尚、我々は40代半ばを過ぎています)



私は特に大人になってから、上手くいかないことがあると、親の育て方のせいでそうなったんだと・・・・

鬱やパニック障害にかかった時も、育てられ方がいけなかったんだと。

親が倒れて実家に戻ることになったときなんか、それ見たことかと

なんて身勝手な親なんだと・・・・

違法薬物に手を出したのも、逮捕されたのも。

心の奥底では、本当は違うんだろうな、っていう部分もありましたが

とにかく父親のすべてを否定しながら生きてきました。



そんな私の遅すぎる転機は、出所して 親戚から初めて、父の私に対する思いを聞かされたときでした。





両親は、自分たちで子供を作ることができないことで、かなり悩んでいたそうです。

そんな中、父はどうしても子供が欲しいとの思いが強くなり

母の妹夫妻に、次の子供をもらえないかと頭を下げました。

その子が私です。


そこまではなんとなくは聞いていましたが、父の弟である叔父から、その叔父夫妻にも
次の子供を譲ってほしいと頭を下げていたと、そのとき初めて聞きました。

その後、その叔父夫妻の子供は妊娠したものの流れてしまったので、母の妹の方が授かった男の子を譲り受けることになったようです。

私と父のぎくしゃくしていた関係を知ったうえで、叔父が強調していたのは

そこまでして欲しかったまさに待望の子供が私だということでした。



他にもたくさん父の話をしてくれましたが、それだけで充分でした。



実の親でないことが、子供の不利益にならないように、どう接し、どう育てていくか

ということも常に模索しながら、甘やかすことなくちゃんとした大人になるように

結果厳しく育てられたのも、納得がいきました。


私には決して口にしませんでしたが

私が 勉強もそこそこちゃんとやって、まあまあ有名な大学に合格したことを

誇らしく思っていてくれたそうです。


その後私は、父の思惑を外れて好きなことを仕事にしていくのですが

その時の衝突も、私のことを心配してくれていたからなんだよな、と

すんなりと受け取れるようになりました。



申し訳無いというより、ただありがたい、という気持ちでいっぱいになりました。




思春期が終わる前に反抗期を終えるという親子関係もあれば

自分の子を授かって、初めて親の気持ちを理解し感謝できるようになった

という例もあります。



形態は様々ですが、人はいつか親のありがたさに触れて、感謝する時を迎えるようです。



結局、親の愛というのはどこにでも変わらず存在するようです。



私はようやく反抗期を終えて、心がものすごーく軽くなったのを感じています。




こういうことを思い出させてくれた同級生よ、ありがとう。


そんな彼の名前はとても縁起の良い、語呂も良い素敵な名前です。


 

何もやりたいことが思い浮かばないとき

ああなりたい、こうなりたい という具体的な絵も描けないとき


自分には引き寄せの基本もできない、とあきらめてしまう人もいるのではないでしょうか?


私もそうでした。


そんなとき、出会った言葉が

 「感謝は最強の感情」

というものでした。



もはやできることは何でもやっていこう

という状態だった私は、とりあえず思いつくことに感謝することにしました。


親、兄弟、親戚、友人等これまで関わってきた人達

そして今生きていること

食事がとれること

住むところがあること

テレビが見れること


それまで気づかなかったことが、実はとてもありがたいことなんだと、感謝するネタはどんどん溢れてきます。



そのうち感謝癖がついちゃいます。


感謝しているとき、その人の波動は感謝の波動となり


これを引き寄せに置き換えると、感謝する状況をどんどん引き寄せていく、ということになります。



周りに感謝することだらけの状況



これってとても幸せなことなんじゃないでしょうか。

 

しかも本当に幸せを引き寄せていく。

 

私の場合、こんなでも仲良くしてくれるパートナーに出会えました。

 

 

奇跡です。



引き寄せ関連の本に書いてあることに対して


それができたら苦労しないよな


なんて投げやりになる前に


意外と簡単にできる  感謝する  ということを実行して

決して損は無いと、私は思います。




皆様が 感謝すること に囲まれて、幸せな日々を送れますよう、心よりお祈りいたします。


 

引き寄せに関する本はたくさん出版されていて、多くの人が興味を持っていることが分かります。


私も逮捕される以前から、何冊ものその類の本を読ませていただきました。



引き寄せの基本は、なりたい現実を思い浮かべ、そうなった時の感覚を味わうと、そのなりたい現実が引き寄せられる。


実現したときの波動に今なることで、それが現実化される。



というものです。


私もそれを理解し、実行してきましたが、さて、特に私がうまくいかなかったのはなぜでしょう?




結論から言うと、完璧にすべて実現されています。


完全に希望とは逆パターンですが。



覚せい剤を摂取すると、遅かれ早かれ脳内物質のバランスが崩れ

普段ではありえない恐怖を感じたり、極端に疑心暗鬼になったりします。


見える世界も変わってきます。



理由なき恐怖や不安を常に抱えながら

なりたい現実なんて想像すらできず、反対のなりたくない現実ばかりが浮かんできて

そこに焦点を当て続けることになります。


しかも強い感情を伴っていますので、簡単にそのなりたくない現実の波動をまとってしまいます。




実際、どのような状況を恐れたのかといえば

逮捕されること

そして自分がやっていることを人に知られること。



後ろめたさからくる対人恐怖から

人目を避け、人とかかわりたくないとも思っていました。



これからの人生まずいことになっちゃう



というのもありました。

思い返せばまだまだあるのでしょうが。





すべて現実となりました。


なりたい、なりたくないにかかわらず、思い描いてその感情を体感すれば

現実となります。


常に想いは実現しています。


どうせなら、明るい未来を現実として引き寄せたいものです。



書籍内外で よく言われる、


楽しい気分でいましょう


というのには実に説得力があります。



良い気分でいると、不思議と悲観的な考えが思い浮かびません。


楽しい気分の中で思い描いた素敵な現実が実現した際の

喜びや達成感、安堵の気持ちを存分に味わって


それが現実となり

またさらに気分良くあれやこれや実現していく。


こっちの楽しいスパイラルの中にいようと思います。





皆様が  楽しいスパイラルの中幸せに過ごせますように。












 

出所からおよそ半年が経過した私に、表面上変わったところはありません。



毎日本を読んだり、瞑想したり、たまに友人と会ってみたり。



心に漠然と居座る不安な気持ちをどうにかしようと

これを消し去って幸せに生きていくにはどうすればいいのかと

かなり必死にできることを探してはやってみました。




現状、基本的に不安な気持ちとは変わらずに同居したままです。


ただ、唯一変わったのは、その不安な気持ちを抱えていることを

自身で認められるようになったことです。




認められるようになってから、これまでの人生、特に薬物中毒に陥ったことや


逮捕され、受刑したこと、それらの中でとてつもなく苦しみ、もがいてもがいて



それでもどうすることもできないという、自信を持つということがどういうことかさえ



思い出せなくなる、自業自得の地獄の経験。



しかし、そんな経験をしたことで、とても大事なことに気づくことができたと

真剣に思えるようになってきました。






苦しんでいる人の気持ちに寄り添えるようになりました。


なんとかしたいけど、できないという苦しみ。


(精神的なものを含め)病気に罹っている人の苦しみ。


引きこもっている人が感じているであろう苦しみ。


不慮の事故等に巻き込まれてしまった人の苦しみ。





もし、自分が順風満帆なままの人生を送っていたら

それらに気づきもせず、気づこうともせず

冷めた目でそういった人たちを 「弱者」 扱いしていたことと思います。



自分でどん底まで落ちて

そんな高慢さを、無理やりのように奪われ

後にはあらゆる人に対しての慈しみ、尊敬が残りました。



だからどうだ、ってことでは決してないのだろうけど。

そうなりました。


それが人間にとって大事なことなのかどうかは知る由もないのですが


それに気づき


自分に対しての否定的な気持ちも和らいだ気がしています。



和らいだら、再びこうして気持ちを綴ってみようという気持ちにもなりました。





ある人が私の素性を知ったうえで 「人生に無駄なし」 という言葉をくださいました。



その時は、そう思い込んだほうがいいんだろうな、くらいに感じていましたが


年が明けた今、気持ちよくその言葉が腑に落ちています。




よし。一歩前進。