犬獣戯画 -3ページ目

犬獣戯画

下町のロビンソン・クルーソー。
『最後の秘境は他人』がモットー。

 私の地元の古い友人であるTは、親父さんが大工で、確かまたその親父さんも大工だったとかで、要は先祖代々・大工の家系というような認識を小学生の時点では完全に刷り込まれており、当のT本人も『職業選択の自由』とか『自分の運命』などという現代人が悩むような事柄を語句として知らぬうちから、当然のように義務教育期間が終了すれば自分も大工になるものだと認識しているようだった。なので彼が小学校の目と鼻の先に住んで居りながらも不登校になるのも『仕方がない』というよりも『学校に行く理由がない』のだからごく自然な形であり、また同級生が小学校で割り算とか道徳とかを叩き込まれている間に彼が父親から『大工のいろは』として軽トラック(マニュアル)の運転を『保護者同伴』という安全な形で仕込まれていた事もやはり自然な形なのであるが、ある時T(当時小学生)が一人で軽トラックを乗り回し警察に補導された際に、交番に身柄を引き取りに来たTの父親が憤然とした形相で「危ないからひとりで乗ったらダメだって言っただろ!」と警官の前でTを怒鳴りつけたという一景も、やはり『親の言いつけは守らなくてはいけない』という広義の教育であり、それを責めることは〈人間としてナンセンス〉な事だと私は思う。


 ちょっと話変わりますけど。


 PCの不調で久しくブログを更新していなかったが、その間にも忙しなく世間や日々は移り変わり、気づけば2021年となってしまった。

 そうして私は私でブログを更新しない間も生きているワケで、また同時に考え事のタネに尽きることもなく、新しいPCを前に久々にブログを更新しようと思ったが、もう何から伝えればいいのかわからないまま時は流れて、という東京ラブストーリー状態なのである。

 はて何から書こうか、と立ち止まってみても、『コロナ』に関する云々は嫌というほど色々な人々が述べたり語ったりしているし、『政治』についてはあまり触りたくない。かと云って『天気』の話をする気にもならないし、我が事ながらどうにも天邪鬼で困ってしまう。


 昨年末は私もなにかと忙しかった。

 年賀状の準備、年末の大掃除の準備、姪たちへのクリスマスプレゼントやお年玉等の手配、奥さんへのクリスマス的な配慮等々、改めて〈師走〉という語句の奥深さも感じたし、坊主が原付で走り回るのも頓首できるような気がした。

 しかし、アレ、クリスマスってのは面倒臭いな。既にアラフォーのオッサンである立場から見ていると〈ハロウィーン〉という行事に熱中する姪たち(四半世紀以上年下)の気分が『実感』としては湧かないのとは違い、私は私なりに〈クリスマス〉という事柄については子供の頃から刷り込まれてきたはずなのに、今となってはその〈クリスマス〉にさえ心が躍らない。またこれが加齢のせいなのか、昨年末の世情のせいなのかは今の時点ではわからない。


 そもそもクリスマス直前になるとあちこちで見かける〈十字架に架けられたイエス・キリスト〉の体型に納得がいかない。

 私はこれでも高校がミッション系だったこともあり〈キリスト教〉に対して特別な害意を持っているつもりはないが、しかし〈年表〉という軸もやはり頭に入ってきてしまい、キリストの娑婆の父親(ヨセフ)は大工だったとされているワケで、またキリスト自身も三十歳前後で宗教者となるまで父親の仕事を手伝っていたとされる経緯を踏まえれば、キリストの体型はもっと筋肉質でガチムチであったと思う。※ついでに、割礼も受けているからズルムケでもある。

 もっと言えば、イエスも冒頭のTのように、義務教育なぞ受けずに、ヨセフ同乗の上で、幼少のみぎりより軽トラ(マニュアル)の運転を練習させられていただろうし、半クラだってお手の物であるはずだ。それにあそこら辺(ガリラヤ?ガラリヤ?要は中東)は石油も取れるから、ガソリンにも困らなかっただろうと思う。

 いま、これを読んでおられる方が疑問に思っていることにズバリ答えよう。『真理は時空を越える』のだ。


 しかし、私はこの件について画期的な解釈を年末に見つけたので、それをここに於いて提唱したい。


 宗教者としてのキリストは、結構過激な行動が見受けられる。例えば、既成の神殿に乱入しては、そこの偶像やら何やらを手当たり次第に壊してブチ切れまくったりもする。もちろん若い頃からの『肉体労働者』として培われた丈夫な筋肉を持つ私のキリストであれば神像のひとつやふたつ、抱えてぶん投げるくらいの芸当は朝飯前だ。

 でね、

 キリストが神殿を破壊しまくった直後に、すっと「神殿の再建、安ぅ請け負いまっせ」と某工務店の営業マンが『タイミング良く』やってくる。慌てふためいている祭司たちは営業マンの提出した見積書に一も二もなくサインをし、神殿は某工務店によって再建される。

 この某工務店が、イエスの父親・ヨセフが代表を務める建築会社(倅が三十を越えていることから逆算して、ヨセフは現場からは離れているものと思われる)だとしたらどうだろう。証拠は無いが、納得は出来る。

 それで、今流行りの都市伝説風に「その某工務店が、後のフリーメイソンである」と締め括ったら、まぁ収まりは良いような気がするのだが、如何だろうか。


 蛇足として一言足すなら、「過去の事さえハッキリせんのに未来に怯えていてもシャアない」と書き添えて、私のブログの姫初めとしたい。

 末筆ながら本年もどうぞ宜しくお願い致します。




〈坂本冬美 ブッダのように私は死んだ〉

恭子のようにワタシは生きたい。