よろしく来週(”未来”含む) | 犬獣戯画

犬獣戯画

下町のロビンソン・クルーソー。
『最後の秘境は他人』がモットー。

 梅雨の晴れ間が目に眩しい。長い雨も新緑を洗うが為のものであるが如く緑が輝いて見える。

 己が歳を重ねたことに衝突したように、ふと足を止める。若かりし頃は木々の緑になど目がいかなかったものである。

 

 私はこの夏四十路を迎える。

 歳を重ねたと考えようが、寿命が減ったと思おうが”日々”は一向に私の実感などを待ってはくれず、随分チグハグな”不良中年(”ちょいワル親父”に非ず)”になってしまった、が、私が長いこと呼ばれていた”非行少年”が”飛行中年(飛んでるオヤジ)”になったところで何が不思議であるものか。

 その事に対して何か思う訳ではないが、現在の己の生活を振り返ると”運”というものの存在を否定し得ない。

 日々の糧に困る事がなくなった事、突然踊り出しては「インドの映画!!」などという私を”許容(”理解”に非ず)”してくれる妻が居る事、結局”孤独”ではない事…etc…。。『足りないもの』を数える癖がつかなかった事に関しては育ての親である祖母に感謝したい。

 

 去年の秋、祖母が亡くなったのも(結果としての)タイミングとしては良かったのかもしれない、とも思う。

 祖母はいつまでも私の”マハトマ(偉大な)母親”で、その御胸に抱かれているうちは私は決して(不良であろうとなかろうと)”オトナ”には成れなかったであろうから。

 四十路までに体裁が整うためにはナイスタイミングだったのだと思いたい。

 

 私より早くに誕生日を迎え、四十路坂を登っていく旧友たちの背中の荷は、それぞれに重たかろう。投げ出したくも、投げ出せない荷も少なくなかろう。それでも皆が皆、それぞれの”マイウェイ”を唄っているが如く生きていてくれること、その事だけでも私には、救いだ。その上、ヤツラ、総じて私には特段と優しいと来ている。私にとってこれ以上の喜びはない。

 

 梅雨の晴れ間が目に眩しい。

 止まない雨はない。明けない夜もない。

 只、犀の角の如く、ひたすらに歩みを止めず、淡々と日々や今週をこなして、人の情けに助けられつつ、今後も人生、よろしく来週。

 

 

 〈よろしく哀愁 - 郷ひろみ〉

 

 

 

「ま、ひとつ頼むわ」的な気楽さも大事(๑•̀ㅂ•́)و✧