全道短歌大会・石畑由紀子さんとのトークまとめ | 北山あさひのぷかぷかぷー

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袋小路の抜け出し方

7月7日に第69回全道短歌大会があり、その冒頭で石畑由紀子さんとお互いの歌について講演(トーク)をさせていただきました。

参加者は60人ほど。目の前の席にはいつもまひる野北海道支部歌会でご一緒しているメンバーが。「近いよ!」と思いつつ、親しい方たちがそばにいてくれてリラックスすることができました。

 

石畑由紀子さんとは昨年11月の道新短歌賞の授賞式以来。

石畑さんの『エゾシカ/ジビエ』はこのたび日本歌人クラブ北海道ブロック優良歌集賞に選ばれました。おめでとうございます!

 

簡単に内容をまとめておきます。

 

石畑さんのトークテーマは「北海道発・北山あさひさんの歌集から「今」を考える~現代に生きる人間の歌、としての短歌~」。

「北海道」や「女性」といったものを通して拙著『崖にて』『ヒューマン・ライツ』の歌について丁寧に読み解いていただきました。

特にレジュメの「【二】「今」を生きる女性の現在地」というセクションでは、①結婚②苗字③人権(ヒューマン・ライツ)というポイントに分けて、石畑さんご自身の歌に込める思いや体験なども含めて、静かに、しかし熱く語ってくださって、聞き入ってしまいました。あの話、どれくらい通じたかなあ。石畑さん、ありがとう。

わたし石畑さんが歌を朗読する声が素敵で感動しました。やっぱり詩をやっている人(やっていた人)は朗読が上手なのかな。わたしはいつも棒読みになってしまうんですよね~。どうしたら石畑さんみたいに素敵に読むことができるのかしら。

 

『エゾシカ/ジビエ』について。すでに栞や、まひる野の歌集評で書いたことと重複する部分があるのですが、「繋がる・繋がれない・繋がらない」ということで次のような歌を挙げました。

 

(土地・自然・歴史)

手のひらのように平野は雪を待つ灯のともりゆく家々を乗せ

白樺の幹横たわる 昨晩の雷雨あなたの声、でしたか

石畑と名乗りはじめた先人の両手のひらの血豆をおもう

(生命)

根分けした祖父の三つ葉をくぐらせて湯はあさみどり わたしになりな

宵闇の特急おおぞらガラガラと砕ける鹿を足裏に聞く

(病を得て)

けものなら終わるいのちを繋ぎとめひかり輝く廊下の向こう

(性差)

この姓を離したくない きみもまた見覚えのある顔で黙った

(現代詩的な方法≒繋がらない)

次は花になりなよ 鍵を鍵穴に差しこむ 次は鳥になりなよ

 

今回歌集を読みなおして改めておもしろいなと思ったのは、世界からの受信機的な役割をする「身体」のこと、それと、自然との交感を詠む歌と人間(異性)とのディスコミュニケーションを詠む歌が歌集のなかで同居することで、結果的に人間(日本と言うこともできる)の異常さが際立つという点。

また、「繋がる」意識が強いなかで、自身の原点にある現代詩的なアプローチが「繋がらなくてもいい」という態度を見せていることなどもとても興味深く、まだまだ魅力が潜んでいる歌集だなと思いました。

時間切れで最後あまり深く話せなかったのですが、「北海道を詠むことに限界あるのか?」というわたしの問い、というか悩み……。前にも書いたけど、北海道を詠めば詠むほど北海道に閉じ込められていく、ただのローカル歌人になるような気がするという話を最後にしました。

石畑さんは帯広の木や自然が好きで、それらに力をもらっている、それを詠み続けたい――というようなことをおっしゃっていたのかな。なるほどと思いました。薄々感じていたのだけど、石畑さんと私は北海道をよく詠む歌人だけどタイプは全然ちがって、石畑さんは外に開いていく人。わたしは内に潜っていく人なんだな。自分自身、目指しているところへどう辿り着けばいいのか手探り中だけど、石畑さんがそうやって詠んでくれることでわたしの道も照らし出されることもきっとあると思った。

 

大好きな石畑さんとお話しできて楽しかったです!

貴重な機会をいただき、ありがとうございました。