結社の原稿にエネルギーを吸い取られて日々放心していたのですが、自分の担当分は終了し、4月の北海道支部の歌会も無事に終わり、ずっと読みたかった本を読んだり、書きたいと思っていたものに関する資料を国会図書館で探したりして、久しぶりに人間の心を取り戻しました。
原稿を書かせてもらえるのはとてもありがたいけれど、それが重なると休日が消え、自分の時間がどんどんなくなっていき、読みたいと思っていた本や観たいと思っていた映画が後回しになり、書くために読まなければいけない本を読む、勉強のための読書ばかりになる、なんだか「義務」みたいになってしまって作品や歌集と向き合うこと、短歌を楽しむことができていないなあと、ここ数年感じ続けていて、でもそれは自分が勤勉じゃないから、仕事ができないから、短歌に対する情熱が足りないから、他の人は文句言わないで仕事をこなしているのに北山ごときが偉そうに、とか思ってストレスがどんどんたまり、そういうときに「北川あさひ」なんて誤字があったりして何もかもびりびりに破りたくなったり。
こういうことで悩んでいるのはわたしだけなんだろうか。
『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は読んでいて心が楽になった。不器用さや愚かさを肯定してくれる感じ。
あとは韓国文学、特に韓国の歴史を知りたくていろいろ読んでいる。重い歴史に愕然としながらもなぜか癒されるような感覚があるのは、声を上げていいんだ、怒っていいんだ、社会的なことを書いていいんだ、世界を変えようとしていいんだと思えるからなのかもしれない。
やりたいこと、好きなことを久しぶりに取り戻すことができてうれしい。でもずっとそれをやってきたと思っていたのにな~、変だよね。
ゴールデンウィークはネトフリの「シティーハンター」を観たいです。