私の反省すべきは、政治家が票を確保したいがために安易に宗教を利用することがどれだけ社会に悪影響を与えていたのか、今回これだけ明るみに出るまで実感としてわかっていなかった点だ。

「この業界あるあるのひとつなのだろう」とこれまで政治家がどう利用されるかに関心すら持たなかった。

自宅にはA教の啓発新聞が定期的に送り付けられてくるし、B教は会合の招待状を信者さんらしき人が自宅まで届けにこられるし、たびたび届くC教の教祖の自伝を失礼ながら何度捨てたかわからない。

言いたいのはこちらがその気になれば政治と宗教は簡単に繋がれる環境にあるということ。
国政だけでなく、地方政治にも食い込まんとする動きは絶えずある。

ひとつ、私は今回の件は[宗教]と大きく括られていることが気にかかる。

今回明るみに出た件を“政治と宗教”として扱い、統一協会を他の新興宗教団体と同列視すると論点が広がって事が有耶無耶になってしまう。

まずは“政治と統一協会”の問題としてきっちり糾弾していくべきだと思う。

ちなみに私の宗教観はクリスマスの翌週に初詣に行き先祖は寺に眠り母校はプロテスタント、という日本人にありがちなサラダボウルだが、各々の宗教から道徳的訓戒や人生の指針を得たし、
また死や災害など逃げられない苦痛に“説明を与える”ことが出来、精神の最後の砦となり得るのは宗教しかないと思っている。