今年3/21に浦安市長選挙が予定されています。

早いもので、前回の挑戦からまもなく4年が経ちます。

有難いことに、何人かの方から「今回は出ないの?」と声をかけて頂いたのですが、色々な面で準備が出来ていないので、私の出馬はありません。

一番準備できていないのはメンタルです。
猪突猛進に突っ走った当時の私は、玉砕したのち、泣いて喚いて引きこもりました。
結果を見れば14600人の方に選んでいただいていました。得票率で言えば25%、わざわざ投票所まで足を運んだ4人に1人の方が私の名前を書いて下さった、にも関わらず、「負けた」「勝てなかった」「落ちた」という言葉の重さに潰されて、14600票への感謝の気持ちをすぐに持つことが出来ず、当時は心が潰れてしまっていました。
情けないことだし、人間としてまだまだだったと思います。

当時私に向けられた批判を通してわかった「私に足りないもの」を補い、心技体が充溢し、またいずれ皆さんの前に市長候補として胸を張って立てるように、今は勉強と精進だと思っています。


今回の市長選に、松崎秀樹前市長が出馬の意思を固め、今朝、記者発表が行われました。
私は松崎前市長を積極的に応援するつもりでいます。

その理由は今後細かく詳しく、皆さんに伝えさせていただこうと思っていますが、取り急ぎ、まずは自分自身についてのご挨拶をするのが筋かと思い、この投稿をあげさせていただきます。


こういうものは極めて慎重に書かねばならないと気をつけながら書きます。

議会には議員各人のポストがあり、議会に届いた私宛ての郵便物や浦安市役所が出したプレスリリースなどが入れられます。

最近届くものはコロナ感染報告のプレスがほとんどで、とりわけ年明けから、教員や児童生徒の感染が目立ちます。

さまざまなケースを調べて分かったことですが、保健所の隔離解除基準は(基準は明確に定まっていますが、発症日の決め方など、という意味で)其々に違いがあるようです。

保健所が判断する根拠の背景には、個人の生活履歴=個人情報が含まれますから、なぜこういう決定をしたのか、世間に対して言えることと言えないことがあります。

だからこの投稿もボヤかした書き方しか出来ないのですが、今週、市内教員の感染をきっかけに当該学校の保護者や児童が不安を感じ騒ぎになるケースがありました。教育委員会に問い合わせの電話がかかり、不安で学校を休んだ家庭もあります。

教育委員会や市川保健所にヒアリングをし、私個人は納得をした上で、今回のような事を繰り返さないために「伝え方の改善」と「再検査」が必要だと感じました。

『個人情報を確かに護った上で、学校側が事務的にではなく、保護者及び児童生徒の不安を払拭する丁寧な寄り添った文章で知らせること』

また、

『与える影響を考えた場合、教員が感染した場合はPCR再検査を公費で行なって陰性を確認してから教壇に戻ってもらうべき』という2点を要望しました。

昨日の市内の感染者数は27人。去年9月ひと月の感染者数のほぼ同じ数が1日で、です。
明日からはほとんどの市内公共施設も閉館します。

市内を閉塞感が覆う日々が続きますが、みなさん頑張りましょう!出来る人は飲食店からのテイクアウトも!支え合おう!

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写真📷教育ICT、進んでます!
学校からノートパソコンを持ち帰り、早朝にteamsを使って学校との接続確認。
画面の向こうの先生が「みんなok!顔も声も確認できました。じゃあシャットダウンして登校して下さい。あとで学校で会おうねー!」
こんな景色はコロナがなければ見られなかったな、とも思います。
本日明海にオープンしたBountifulCoffeeさんへ。駅前マーレのチャレンジショップで1年間の営業の後、開業されました。

(「チャレンジショップ」という事業の是非については議会でも色々と議論があるところではありますが、それとは切り離して)

味もさることながら、空間が居心地よかったです。明海は「ちょっとお茶する場所」がほとんどないので、これからお世話になります◡̈







「浦安市内でもう450人も感染者出てるのに、私の周りで罹った人の話聞いたことがないな」と思ってたんですよね。

2日前、“知人のご主人から相談を受けた”という投稿をしたら、
その後「実は私も秋に陽性反応出て…」「実は12月に罹りました」等、複数のメッセージをダイレクトにもらいました。

わざわざ言ってなかっただけでやはり周りにいたんだなぁと思いました。きっとみんな、世間からどんな風に思われるか気にして伏せてたんだと思います。
そんな必要は本来的にはないのに、「遊び歩いた人のペナルティ」「田舎で感染したら引っ越しレベル」等々面白おかしく報道したメディアの責任は多大だと感じました。

そして、今回連絡くれた人の中には、死ぬ思いの末“治った”とされる今も後遺症に苦しんでいる、という人も。また急性期は様々な不安から肉体だけでなく精神もかなり蝕まれたとのこと。

感染した人たちの経験談って、テレビで聞くこともあるけど、やはり直接聞くインパクトはすごく、今更ながらこのウイルスの恐ろしさを感じましたし、私からももっと啓発しないとと思いました。

すると帰り道、フードコートに70代と思しき男性6人がノーマスク近距離で、ロング缶20本位入ったカゴを横に置いて大宴会。
なんの緊張感も感じさせない弛んだ、的を射ないズレた内容の緊急事態宣言ではあるけれど、だからと言ってこのご時世こんな景色を見るとは。

苦しんだ人の声を聞いた直後だっただけに、静かに震えました。


新学期に入り、小学校は明日から通常日課。給食も始まります。
ひとりで、前を向いて、無言で食べるということを子ども達はもう半年やってます。
「明日から6時間かぁ。換気しないといけなくて窓開けてるから震えながら勉強してるんだよね」と呟く娘。

子ども達がもう戻らない時間の中で色々な機会を奪われているのに、何の制限もない大人は好き勝手やるって言うんじゃあ、あまりにもフェアじゃなさすぎる。

や、大半の人はキッチリしてるんですけどね。
なんだかやるせなくて。


写真は、7日ですから七草粥。いつも以上に無病息災を願って。
ちなみに隣に添えるは名店・政丸水産のあさりのしぐれ煮。好物です◡̈
新年おめでとうございます。
本年も皆さまどうぞよろしくお願いします。

巣ごもりで時間があったので、おせち頑張りました
お雑煮は丸餅で白味噌。そこに丸茂海苔店の青いとを添えて。素晴らしい香り。お椀の中で京都と浦安が融合です。

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さて、
昨日は御用始めで、知り合いのご主人から相談があるということで話を聞いてきました。

その時初めて聞いたのだけど、奥さん(私の知人)がコロナに感染し、治療の末、今は治癒した状態だそうです。
この家には小さな子どもがいることもあって、感染には人一倍気をつけ、旅行はおろか、外食も、お茶することすら控え、マスクも手洗いも消毒も過剰な程行ってきたとのことだし、私の知ってる彼女ならその辺徹底しただろうなと思う。

陽性反応が分かった時は、家族、特に幼い娘にうつしていないかと自分の身を顧みず家族の健康を案じていたらしい。

それだけでも大変な思いをしたのに、
コロナ感染を知った人たちから、「旅行とか行ったの?」など、さも遊び歩いていたのではないか、そのペナルティで感染したのではないかという言外の叱責を受け、精神的なダメージから適応障害の様な症状が出ているそうです。

直接的に責められる事はなく、あくまで「大変だったね〜」の後に続くらしいのだけど、だけどその“叱責”と感じる何かは確かに存在すると。

ご主人も濃厚接触者として会社に報告した時、似たような言外の批判を受けたとのこと。

コロナ感染者へのいじめや差別みたいな話は、もっと直接的なものかと思っていたけれど(そういうのもあるだろうけど)、実はもっとこうぼんやりした“心配してる風”な表現でボディブローの様に病み上がりの身体を責めるものなのかも知れません。

緊急事態宣言が金曜に(またはもっと前倒しで)官報公示される話が現実味を帯びた今(その是非はここでは置いといて)、これまで以上に日本国中が殺伐とし、持って行きようのない怒りや不安や不公平感やうんざり感を、よりによって1番弱っている人にぶつけてしまう可能性は捨てきれません。

彼女のように、徹底して用心していても、誰しも罹る時は罹ります。

「逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。素直さを失った時、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む」とは松下幸之助の言葉。

逆境は人の心を歪める、ということをそれぞれが自戒しておかないと、彼女がそうなったように、誰かを無意識に追い詰めることもあるのだと意識を改める出来事でした。

また、今回の宣言下では飲食店が狙い撃ちされるイメージのようです。前回と違い学校は閉じず劇場もOK。
ただ、言うまでもなく、感染を広げている要因のひとつは“飲食店”なのではなく“コロナ禍マナーに違反した会食”です。

飲食店のホールでバイトしている友人は、繰り返し行う消毒作業で荒れた手にクリームを塗りながら「こんなにやってるのに悪者扱いされるのか」と肩を落としていました。

独居の高齢者など、飲食店がなければとても1人で生きていけない、3食自炊がままならない、飲食店が生活必需であるという人は大勢います。
「店を開けていること」「店に行くこと」が悪、という風潮にも歯止めをかけねばなりません。

マスクを着けて歩くだけでも小さなストレスは蓄積しているだろうから、日本の総ストレス量はもはや膨大だと思うけれど、それを目の前の「言いやすい誰か」にぶつけることなく、自分の中で溶融できる心の素直さを持ちたいものです。