新年おめでとうございます。
本年も皆さまどうぞよろしくお願いします。
巣ごもりで時間があったので、おせち頑張りました
お雑煮は丸餅で白味噌。そこに丸茂海苔店の青いとを添えて。素晴らしい香り。お椀の中で京都と浦安が融合です。
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さて、
昨日は御用始めで、知り合いのご主人から相談があるということで話を聞いてきました。
その時初めて聞いたのだけど、奥さん(私の知人)がコロナに感染し、治療の末、今は治癒した状態だそうです。
この家には小さな子どもがいることもあって、感染には人一倍気をつけ、旅行はおろか、外食も、お茶することすら控え、マスクも手洗いも消毒も過剰な程行ってきたとのことだし、私の知ってる彼女ならその辺徹底しただろうなと思う。
陽性反応が分かった時は、家族、特に幼い娘にうつしていないかと自分の身を顧みず家族の健康を案じていたらしい。
それだけでも大変な思いをしたのに、
コロナ感染を知った人たちから、「旅行とか行ったの?」など、さも遊び歩いていたのではないか、そのペナルティで感染したのではないかという言外の叱責を受け、精神的なダメージから適応障害の様な症状が出ているそうです。
直接的に責められる事はなく、あくまで「大変だったね〜」の後に続くらしいのだけど、だけどその“叱責”と感じる何かは確かに存在すると。
ご主人も濃厚接触者として会社に報告した時、似たような言外の批判を受けたとのこと。
コロナ感染者へのいじめや差別みたいな話は、もっと直接的なものかと思っていたけれど(そういうのもあるだろうけど)、実はもっとこうぼんやりした“心配してる風”な表現でボディブローの様に病み上がりの身体を責めるものなのかも知れません。
緊急事態宣言が金曜に(またはもっと前倒しで)官報公示される話が現実味を帯びた今(その是非はここでは置いといて)、これまで以上に日本国中が殺伐とし、持って行きようのない怒りや不安や不公平感やうんざり感を、よりによって1番弱っている人にぶつけてしまう可能性は捨てきれません。
彼女のように、徹底して用心していても、誰しも罹る時は罹ります。
「逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。素直さを失った時、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む」とは松下幸之助の言葉。
逆境は人の心を歪める、ということをそれぞれが自戒しておかないと、彼女がそうなったように、誰かを無意識に追い詰めることもあるのだと意識を改める出来事でした。
また、今回の宣言下では飲食店が狙い撃ちされるイメージのようです。前回と違い学校は閉じず劇場もOK。
ただ、言うまでもなく、感染を広げている要因のひとつは“飲食店”なのではなく“コロナ禍マナーに違反した会食”です。
飲食店のホールでバイトしている友人は、繰り返し行う消毒作業で荒れた手にクリームを塗りながら「こんなにやってるのに悪者扱いされるのか」と肩を落としていました。
独居の高齢者など、飲食店がなければとても1人で生きていけない、3食自炊がままならない、飲食店が生活必需であるという人は大勢います。
「店を開けていること」「店に行くこと」が悪、という風潮にも歯止めをかけねばなりません。
マスクを着けて歩くだけでも小さなストレスは蓄積しているだろうから、日本の総ストレス量はもはや膨大だと思うけれど、それを目の前の「言いやすい誰か」にぶつけることなく、自分の中で溶融できる心の素直さを持ちたいものです。