よく瞑想のレッスンを受けにいくと瞑想講師に「瞑想は何分ぐらいやるべきですか?」と質問しているヨガインストラクターさんを見かける。たいてい、ヨガに詳しい瞑想講師は48分(1ムールタ)ぐらい、と答えている先生が多いようだ。確かに一つの目安にはなる。ヨガのアーサナ(ポーズ)練習によって脊柱起立筋が鍛えられ、身体の関節がほぐれていなければ、短時間座っているだけでもつらいはず。48分も苦痛なく座っていられるようになればたいしたものだ。しかし、瞑想の本質からすれば、「本当は時間なんて関係ない」と私は言いたい。カッコイイ言い方するならば「時間を超越しなければ瞑想のその先=三昧(サマーディ)には到達できない」。言い方を変えるなら「時間を感じない状態になる」と言ったほうがわかりやすいだろうか?私はたいして高い境地にいる訳ではないが、瞑想状態が深くなると身体が空っぽになり、周りの空間に溶け込んでしまうような感覚になる。もし、瞑想の対象があれば対象と一体になる感覚だ。このような状態の時は身体の感覚がなくなり、時間の感覚もなければ、トイレに行きたい感覚すらなくなる。実際、瞑想を解いた後、急にトイレに行きたくなったり、5分ぐらいかと思ったら1時間近く瞑想していた、といった事もある。私は「瞑想する時間は何分でもかまわない」と考えている。今流行のマインドフルネス瞑想にはたった1分間呼吸に意識むけるだけ、と言う瞑想もある。そんなの瞑想じゃない、と言う人もいるが、私は1分間でもいいと思う。むしろ深い瞑想に入り過ぎて現実世界に戻ってこれないほうが問題だ。瞑想状態からすぐ意識を戻す能力も必要なのだ。1分間の瞑想でも良いと言ったが、最終的には、普段の生活すべてを瞑想にできれば理想的だ。深い瞑想状態に入ったままになれ、と言う意味ではない。普段の生活をしている状態で心が快適で安定ならば良いのだ。ヨガ哲学(ヨーガスートラ)のスティラ・スッカだね。簡単に言えば苦悩がない状態。マインドフルネス瞑想は特に簡単で今している事に意識をむけるだけだから、いつでもどこでもできる。電車の中で瞑想したっていいんだよ。雑踏の中ですら心が快適・安定でいられるならすごい事だと思わない?ちなみに仏教の摩訶止観にも生活すべてを瞑想(止観)にする事が説かれている。私もそんな境地を目指したい。