今日で、予定日まで100日となりました。
お腹もかなりでてきて、日常生活の動きも辛くなってきました。
夜も通して眠れなくなってきました
あと、3ヶ月、母子ともに健やかに予定日を迎えられますように
準備もそろそろ本腰入れなくては。
あとは、洗剤、沐浴剤、ハンガーやら、授乳やミルクに必要なものなど、、、
細々したものがまだ揃っていません
産褥入院を予定しているので、8ヶ月に入ったら、区で登録手続きしないと
一歩ずつ赤ちゃんに会うための前進。
今までのマタニティライフは順風満帆ではないけれど、よくよく記憶に刻んでいきたいです。
さて、話は変わりますが、小林麻央さん。
心配です。他人事には到底思えなくて。
私が、高校生のとき、母のステージIIIの乳がんがわかりました。
手術もなんどもし、抗がん剤も長いことしていましたが、既にリンパに転移していて、最期は全身がガンに侵されていました。
闘病中の出来事で深く記憶に刻まれてることが。
とくに以下の2つは、不妊治療し始めた頃からよく思い出すように。
考えると涙が溢れ胸が張り裂けそうになってしまいます。
ある時、元同じ病室だった方にお届けものを母の代理でしたとき。
その方に、言われました。
「お母さん、あなたが将来子供を産んで(母の)手を借りたいとき、力を貸してあげることができない、と言って、泣いていたのよ。」
と。
私はまだまだ精神的に子供で、受け止めきれない言葉でした。
母が泣いていた、ということにすら動揺した気がします、、。(母が私の前で泣いたのは祖母のお葬式だけだったので、、。)
とにかく母が亡くなる前提の話には心がシャットアウトしてましたね、、。
もう1つは、
病床の母が私に言った言葉。
「子供がいなくても素晴らしい人生を送っている人も沢山いるし、決して否定しないけれど、子供がいる人生ってとても素晴らしいよ。お母さんは産んでよかった。」
これもまた、母がまるで私に最期の言葉を紡いでいるようで、どぎまぎしてしまい、その場ではきちんと受け止められていなかった気がします、、、。情けない。
この世で最も愛していた人が母でしたので、その死を受け止めることは、本当に辛かったです。内臓を全部えぐられたような喪失感、そんな精神状態がしばらく続きました。
子供過ぎ、と情けなくも思いますが、今では良く行くお墓まいりだって、行けるようになるまで10年掛かりました。
とにかく、現実を受け止めきれなかった子供の私。
情けないばかり。
そんなことを考えていたら、も1つ私の情けない対応を思い出しました。
母を車椅子で押して、大好きな百貨店に行ったとき。
何か欲しいもの、なんでも買いなさい、
という母。私は特にないよ、と。
すると、
「◯◯ちゃん、そろそろちゃんと喪服を買いなさい。」
と。
これは、本当に辛かったです。
その場は、そんなの要らない!!で誤魔化して逃げましたが、
母の気持ちを考えると、なぜ受け止めることが出来なかったのか、情けないです。
今になり、母の気持ちに思いを巡らせるのです。
多分娘は喪服を初めて着るのが自分のお葬式だろうと、辛いであろうそのときに、せめてちゃんとしたものを用意してあげたい、と。
母は、母で、それが自分の葬式だろうとなかろうと、不憫な思いをさせてはならない、
それは多分、私がお腹の子に対してあらゆる準備をしておきたいと思うのと大して変わらない親心、母心なのかなと。
でも、受け止められませんでした。
情けないです。
とりとめなくなっちゃいましたが、
小林麻央さんには、病気に勝って欲しいです。
母親の存在がいかに子供にとって大きいか、絶大か。
死んじゃだめです。頑張ってほしいです。
私も産後、できる範囲で早めに人間ドックにいきます。
授乳中ではしこりがあっても、絞り残りとか思っちゃうのかな、、。
juji