昨日は、お寺で、私がお話させていただける機会をいただきました。ほんの短い時間に、仏像の荘厳について、そうして、人の呼吸について、二つの大問題を考えていただけるよう、投げ掛けて終わりにしました。語りつくせません。

その話の流れの中で、先日のクローズアップ現代の終末医療に付いて触れたのですが、
また、機会があればご住職とふたり、今後の宗教の問題として、しっかり、お話ができたらと願っているテーマです。

私は友人の母をホスピスで見送ったのが人生最初の経験でした。それから数年後が、私の母でした。二人ともに延命治療を望みませんでした。医師から、二人ともにあと4ヶ月だろうと、私は聞き、そのとおりに、枯れるように静かになくなったので、私の中に「4ヶ月」の文字が刷り込まれたようです。皆さんにも4ヵ月と申しましたが、テレビでは、「3ヶ月」と言われていましたね。
クローズアップ現代で話をされた、看護師僧侶の、玉置妙憂さんは、ご主人がすい臓がんになられ、本人の意思で延命治療をしないと決めて、看取りをした看護師さんでした。
死の兆候が現れるのは3ヶ月前で、そこで、患者は人生を振り返ったり、内向きになり、外出をいやがったり、食事をしなくなる。本や新聞も読みたがらなくなる。死まで1ヶ月を切ると、血圧心拍数が不安定になり、肌や爪、手足の血色が悪くなります。死まで1から2週間になると、痰が増えて喉からゴロゴロ音がします。苦しいだろうと、傍にいる人は心配になりますが、はたから見るほどには本人は苦しくないと、言われています。
(実際、私が、看取った父母たちは、ハッキリと苦しくないと意思表示できました。)死まで24時間になると、あごを上下に動かしてする下顎呼吸がはじまります。人が亡くなるさいの自然なプロセスです。心停止の前にそれまで出なかった尿と便がいっぺんにパッとでます。血圧が低下して体中の筋肉が緩むためです。そのお陰で亡くなった後の体の中は、きれいに空になっています。
人は自分で自分の体をきれいにして亡くなるのです。(この自然の摂理が感動です)
私は4年前に、放っておけば、あと1ヶ月の命ですと、言われていましたが、確かに、食欲はなく、心拍数は不安定で、手足の血色は変な色でした。まともに歩けません。
私がさらに変なのは、その状況で、一人で、奈良から特急に乗り、新幹線に乗り換えタクシーで小倉の病院に、何とかたどり付きました。幼友達の医師は、「えっ、一人で来たの〰️」と、すっとんきょうな声をあげました。主人は、自分の予定があるので、妻はなんとかするでしょう。子供ではないのだから、が、昔からの彼のスタンスです。(最近も、一リットルもの腸液を、私が吐いてるのを見て、心配そうに大丈夫かと尋ね。私が大丈夫というと、じゃあ行ってきますと、北九州に出掛けました。)私は、いつも、ちらっと、内心心配でしたが、気力で持たせてきました。
奈良から北九州の病院までのその旅の間、気づけば、トイレに一度も行かず、巻きずしを新幹線で買いましたが、ひとつ食べるのが精一杯で、確かに生まれて初めての自分の状況に居たのに、割りに落ち着いていました。車中の子供の仕草に、なんて可愛いと思い、自分のことで、さほど不安にも思わず、まずは病院に行かなくてはと、しゃんとしていました。病院に入ってから途端に、体が崩れたようにベットに倒れこみましたけれど。
私は、それまでの時間、(死を1ヶ月前までと目の前にしながら知らずに)




やや、体がおかしいと感じる程度で、主人の世話に余念ありませんでした。
その時、覆水で妊婦のようになり、お腹が張って苦しかったので、つい、この苦しみの中で死ぬのは、1ヶ月は長過ぎると判断してしまいました。私は治療を勘違いしていたのです。まず、覆水を取りのぞいてもらい、(実際、その後、嘘のように苦しさは消えました)そのあとは、もし、痛むようなら、強いモルヒネを入れてもらって痛みを取りのぞいてもらいさえすれば、あとは、枯れるのを待っていることはできたのです。が、今にして思えば、そんなに死に急ぐことはありませんでしたね。その後の時間は副作用こみで、充実していました。
よくぞ、その後も4年もの時間をいただけて、奈良にも住まわせていただいている今があります。
今日は、一日を一人で過ごしますが、沢山の方々とのご縁に囲まれていますし、向こうで、待っていてくれる人もいます。けして、孤独ではありません。
友人達へ
もし、時間があるなら、お寄りくださいね。一度に沢山の人に会うのは、しんどいですが、(昔は、60人もの方々と、楽しいバスで、癒しの巡礼旅をしましたのにね)横になっていて、お構いもできませんが、お会いできる贅沢、お許しくださるなら、ありがたいです。合掌。