KARTE 5
ここからは、ひどい日記(漢字めちゃくちゃ)を基に書きます。
1月30日。入院2週間目。結婚してから今までの仕事の様子が日記に書かれている。主にいかに職場でひどい目に遭ったかが具体的に。その後、関心事として、もし治ったら希望する仕事に就けるかどうかについて。最後にその時、病室で置かれている状況を詳しく。
いくら記憶力が衰えたとはいえ、後から見るとここに書くのも憚られる恐ろしい内容です。結論は何故か精神病扱いされていると感じたことです。
1月31日。退院後の就職が再び心配だったらしい。その他に毎月の支払が気になっていた。具体的な数字が日記に並んでいる。最後に毎日3食採らされる食事に対する愚痴。ここはまるで子供。
KARTE 4
意識が戻ってからの1週間、看護師の言うことを聞いてました。でも何か違うと少しずつ気が付くようになりました。その日のことは十分に理解できるが、翌日その記憶がない。妻は毎日見舞いに来てくれたようですが、毎日という感覚がない。冷蔵された頭蓋骨の代わりにヘンテコなヘルメットを被された私の頭の中に流れる言葉は
「自分のうちに十分な熱狂がなくなれば、いったい外へ飛び出したところで、どこへ行くあてがあるのか。現実は、要するに、断末魔の連続だ。この世の現実は、死だ。どっちかに決めねばならぬ。命を絶つか、ごまかすか。僕には自殺する力はなかった。」でした。このままでは自分を保てないと思った私は、この後日記をつけることを決めました。字もまともに書けるかどうか解りませんでしたが、とにかく自分が自分である為に。
KERTE 3
手術後6日目に初めて目を覚ましました。横にいたのは妹でした。「おにいちゃん、わかる?」の問いかけに目を開け、うなずきました。その後また、気を失いました。翌日、再び気がついた時は、ICUを出て一般病棟にいました。のどの管を取られた私が、そこにいた妻にかけた最初の言葉は「おう、よく来たな。」でした。それまでの記憶が全くない私は、どういう訳か自分が病院にいるという事実しか理解できませんでした。頭を触らないようになのか、手足をベッドに皮ベルトのような物で縛られていました。寝ている間、かなり暴れていたようです。この状態は意識が戻っても、睡眠中は変わりませんでした。この後1週間は、1日を看護師の言う通りにすることで手一杯で、あまりに素直な私を見て妻はかなりびっくりしたそうです。投薬量が変わってくると、だんだん自分が戻ってきます。変なヘルメットを被されてイヤな感じでした。戦争捕虜のようでした。本当の戦いはこれからです。