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いよいよ、フチタンに到着

さてさて、カルロス君との甘いデート・タイムも終わり、いよいよフチタンに向けて出発である。
カミノ・レアルでスーツケースの受け取りと支払いを済ませ、カルロス君に送ってもらいバスステーションへ。フチタンまで、5~6時間のバスの旅となる。ミネラルウォーターやら空腹に備えてのパンやら駄菓子やらをしこたま買い込んで、ショルダーバッグはパンパンになる。

「帰りにはオアハカに泊まらないの?」カルロス君は、名残惜しそうに言う。
「ぎりぎりまでフチタンにいるから、泊まれないんです」そう答えると、ポケットからグリーンの石を取り出して「お守りです」と僕の胸ポケットに入れて、「またオアハカに来たら電話してね」と、電話番号とアドレスを書いたメモをくれました。
今日のお礼に、300ペソを彼にあげた。 素直に「ありがとう」と言って笑って受け取ってくれたので、助かった。

バスのスタッフにスーツケースを渡し、カルロス君とハグして別れる。
カルロス君からは「オトコの匂い」はまだしていなくて、陽射しに焼けた髪の匂いがしました。



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5~6時間にも及ぶバスの旅はどんなに過酷だろうかとビビッていたのだが、意外に快適。
ぐうぐう眠れるほどシートは広く、深くリクライニングできるし、 ビデオも上映してくれる。
上映されていたのは「WASABI」というリュック・ベッソン監督、ジャン・レノ、広末涼子出演のアクション映画だった。
「もしかしたらハポネサ(日本人)の僕が乗るから日本語が聞ける映画にしてくれたのかもしれない!」と思ってコーフンしてしまったが、急遽予定時間を早めて乗った帰りのバスでも同じ映画が上映されていたところを見ると 、どうやら早合点だったようだ。


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オアハカ市街地を出ると、見えるのはどこまでもどこまでも、果てしなく乾いた草原である。

メキシコのネイティヴアメリカンたちが風習として行っていた同性同士の性交渉は、スペインの侵攻・虐殺・奴隷化・カトリックの教化の中ですっかり淘汰されてしまったが、フチタンでは未だに色濃く残っている。なぜなんだろうと不思議に思っていたのだが、こんな草原を延々と進まなければたどり着けないようなところにある町は放っておかれたのかもしれない。フチタンは経済的に自給自足が可能なので外部と接触しなくても暮らしていけたし、特に資源が豊富というわけでもなかったから狙われずにすんだ。それだけのことだったのかもしれない。


映画を見たあとウトウトしている間に、 夜が近づいてきていた。
アメリカ大陸の乾いた草原の中で夜を迎える日が来るとは、思っていなかった。
先のことはわからないというシンプルな事実を、しみじみと実感するワタクシ。タイでウハウハ盛り上がっていた三ヶ月前の自分に、「おまえは三ヶ月後にアメリカ大陸の乾いた草原で夜を迎えることになる」と教えてあげても信じないかもしれない。

夕陽は、燃えるようなオレンジ色になにもかもを染めるのではなく、メキシコの空の強い強い青の力に勝てずに心細げなピンク色を見せながら地平線の向こうへ逃げるように去っていく。太陽が沈んでもまだしばらくは、空は強い青のままだった。宵の明星が颯爽と輝き始めたあとに闇はやってきたが、闇の力が空の青を凌駕するように夜になるのではなく、青が自らの意志で色を変えて夜になっていくかのようだった。

星たちは、天井から吊されているかのように、地球の引力に引かれながら輝いているように見えた。もしかしたらガリレオは嘘つきで、ほんとうは天動説が 正しいんじゃなかろうかと思える感じだ。沿道の木々は物乞いの女たちの差し出す両手と同じ角度で枝を天にさしのべ、渇きの歌を歌い始めている。荒涼とした哀しみに包まれている土地を、バスは心細く走り抜けた。



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フチタンに着くと、想像していた町より全然、近代的な町だったので、びっくりした。コンピュータ発券ができるチケットブースがちゃんとあるバスステーションに、バスは停まった。

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帰りに撮影したバスステーション

タクシーもたくさん、客待ちしている。バスを降りてスーツケースを受け取るために 並んでいたら、バスから降りてきた運転士とバスステーションのスタッフ(もちろん男性同士)が、いきなりチークダンスのように踊り始め、ほっぺたにチューしあったので、もっとびっくりする。やはり、日本で得た情報は間違っていなかったのだ。


タクシーに乗って(バスステーションからは歩いて3分ぐらいの距離であることも知らず)、フチタンでの宿泊ホテルである「ホテル・サント・ドミンゴ」に向かう。ホテルは、日本の国道と全然変わらないような2車線道路沿いにあった。

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見た目は日本の国道と同じだけど

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歩いている人が違う

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ホテルはなんだか、雰囲気が非行少年の更正施設みたい

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ホテルスタッフのホセくんは、見た目はコワイけど、人なつこくて優しかったです。


チェックインの手続きをしていると、東洋からのお客が珍しいらしく、ホテルスタッフがわらわらと集まってきた。英語は、まったく通じない。指さし会話帳とジェスチュアで、僕は日本人のライターでゲイとムシェの取材に来たと告げると、みんな愉快そうにワーハハハと笑った。そうか、ゲイとかムシェって、地元のノンケたちにとって笑える存在なワケか。。。

ホテルスタッフのホセ君が、ホテルの掲示板の前に連れて行ってくれる。お祭りスケジュールの掲示板だ。フチタンには年間600もの祭りがある(つまり、毎日どこかでお祭り)ので、お祭りスケジュール表が普通にあるらしい。11月19日の欄に、Fiesta(祭り)という文字とMUXHE(ムシェ←男性から女性へのトランスセクシャル)という文字が書かれている。

「ドンデ(どこで)?」と尋ねると、「セントロ(町の中央広場)」と答えるホセ君。
「ここからセントロまでは、どのくらいでいけるの?」
「タクシーだったら、10分ぐらい。30ペソ(320円ぐらい)で行けるよ」

オアハカでは、ソカロという町の中央広場がハッテンバとして機能していた。
もしかしたら、フチタンでもそうなのかもしれない。
部屋に荷物を置いて、充電のための機材をセットし、時計を見ると21時30分。
ちょっと怖い気もしたが、とりあえずセントロに行ってみることにした。


タクシーに乗って、「セントロ」と告げると、運転手は「シ(はい)。」と言って走り出した。フチタンの人々の言語はサポテカ語という耳慣れない名の言語なので、カタコトのスペイン語が通じるかどうか不安だったが、とりあえずホッとする。
運転手は珍しい客を乗せたのでいろいろと話しかけてきたが、こっちはサッパリ言葉がわからない。英語も全く通じない。「ライト・レフト」も、「ワン・ツー・スリー」までも通じない。めちゃくちゃ心細くなり、運転手に「ノ・エンティエンド・エスパニョール(スペイン語はわからないんだ)」と告げた。だが、中年の運転手はそれでも何度でも話しかけてくる。人なつこいんだろうけど、話しかけられれば話しかけられるほど心細くなってくる。全然理解できない言葉で何かを何度でも尋ねられるのは、はっきり言って恐怖だ。ソカロに着くまで曖昧な笑みを浮かべ、ナマ返事するしかなかった。


オアハカのソカロに比べるとだいぶ小規模な広場の前で、車を降りた。広場を見渡したが、男性の姿は見かけない。 広場の周りには、店やコメドール(食堂)がたくさんあるようだが、この時間ではほとんど閉まっていて、屋台がいくつか灯りをともしているだけだった。

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飲食店の主人は、ほとんどが女性だと聞いていたが、ホントにその通り。どの屋台を覗いても、働いているのは女性ばかり。

比較的若い女性が鍋をふるう屋台で「なにか食べるものをください」と注文し、揚げたトルティーヤに野菜とチーズと肉を載せたものを作ってもらって食べる。女主人と客たちは、珍しい東洋人のお客の登場に盛り上がっているが、なにを喋っているんだか全然わからない。
屋台の女主人に「僕は日本人のライターでゲイとムシェの取材に来た」と伝えると、またまた女主人もお客たちも、ワーハハと笑う。指さし会話帳を駆使して 「ゲイかムシェを知らないか」と聴いてみたが、彼女達は恥ずかしがってしまっていて話にならない。

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「ねぇ、ねぇ、ゲイかムシェ知らない?」「いや~ん、はずかし~ぃ」

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取材なんてできるんだろうか。。。しょぼん。。。

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料理は、うまかった。

情報を得たくて誰に話しかけても、言葉がわからずに相手を戸惑わせるだけ。。。
やっぱり、すご~く無謀な旅に来てしまったのかもしれない。こんな調子で取材なんてできるのだろうか。。。と、珍しくもへこみまくるワタクシ。でも、まぁ、お祭りの日時もわかってることだし、今日のところは引きあげてゆっくり眠るか。。。

と、思っていたところへ「ハポネサ(日本人)!?」という、女の子の声が聞こえてきた。20代ぐらいの女の子がふたり、僕に向かって駆け寄ってきたのだった。「私、ハポネサと初めて会ったわ!」と、片方の女の子が英語で言った。なんと彼女は、少しだけど英語が話せるのだ!ああ、神様。

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帰りの空港でメモリーカードが入ったケースを盗まれ、アイダの写真はこれしか残っていないのであった。

彼女の名前はアイダといって、自らも英語を学びながら子供たちに教えているそう。

「ゲイとムシェの取材に来た」と言うと、彼女たちもキャハハと笑う。
「ゲイかムシェの友達はいますか」と尋ねたら、「たくさんいるわよ、明日、私の友達に会いたいですか?」と、アイダは 言った。救世主の登場である。ショルダーバッグからスキンケア化粧品の数々を出して、彼女たちの手に押しつけるように渡し(よろこんでくれました)、「どうかよろしくおねがいします」と、ペコペコ頭を下げるワタクシでありました。

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英語が全く、きれいさっぱり通じない。
ライト・レフトや、ワン・ツー・スリーすらも通じない。
こちとら、スペイン語だけの世界では、数だって5までしか数えられないクソバカである。そんなバカッタレが単身で乗り込んできたところで、はたして限られた時間の中で現地の人とコミュニケーションをとり、さまざまな人の生活ぶりや考えを読者の方々に伝えることができるのだろうか。。。。フチタンに到着した晩に町の中心部・セントロを徘徊しながら、へこみにへこんでしまったワタクシでありました。ところが、思いが天に通じたかのように、英語を理解する女性・アイダと出会って、明日、彼女の知り合いのゲイに会わせてもらえるという。ああ、ありがたや、ありがたや。

小躍りするようにホテルに戻ったワタクシ。ホテル・スタッフのホセ君に「楽しかった?」と聞かれ、「オレ!オーレ!」と踊って見せて喜びを表現した。「うひゃひゃひゃッ!」と笑うホセ君。ワタクシの持っているカメラを見て、ホセ君が「フォト!フォト!」と言うので、二人で記念撮影。プリントしてあげると、今度は大喜びしたホセ君がデカイ尻を振って踊って見せてくれた。見た目はコワイけど、ホセ君て、カワイイかも。。。。言葉なんか通じなくても、アホは万国共通。ああ、アホでよかった。

部屋に戻って、ツレちゃんに電話をかけ、シャワーを浴びて横になった。
蛍光灯の音がジージー鳴るホテルに泊まるのなんて、何年ぶりだろうか。



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目覚めると、空はウソみたいに真っ青。
TVをつけてみると(言葉がわからなくても、だいたいの内容はわかる)、「クイズ100人に聞きました」の、あからさまなパクリ番組が放映されていた(日本だって昔はさんざんアメリカのパクリをやったんだろうから、どうちうことはないが、一瞬、あああッと思ってしまった)。日本の「100人に聞きました」と違うところは、答パネルにイラストがないところと司会者が濃い系のハンサム・キャラであるところだけ。これを見ている人たちはほとんど、日本の番組のパクリだなんて知らずに見ているんだろうなと思うと、ちょっと不思議な気分であった。

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明るい中で改めてホテルの中を見てみると、豪華ではないが清潔なホテルである(ドント・ディスターブのプレートを下げていても開けられて掃除されてしまうが)。ホテルの中には、もちろんレストランもあるが(誰も泳いでいなかったが、プールもあった)、アイダとの約束の時間まで町をぶらぶらと見てみたかったので、シャワーを浴びて、町の中心部・セントロに再び出かけることに。


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この町の正式名は、フチタン・デ・サラゴサ。
メキシコ・オアハカ州の南のはじっこ、気温は年間を通して30~35度ぐらい。人口は8万人。
ネイティヴ・アメリカンのサポテカ人がほとんどで、言語もサポテカ語。宗教はいちおうカトリックだが、かなりフチタン風にアレンジされているとのこと。

フチタンの社会は典型的といえる、母系社会。ヨーロッパの文化人類学の分野では興味深い研究素材だそうだ。一家の大黒柱は母親で、家督は末娘に相続される。経済的にも政治的にも、女性が実権を握っているとのこと(もののけ姫にもそういう国が出てきましたよね)。メキシコ・マチスモ(マッチョイズム)という言葉に象徴される男性優位社会(でも実はマッチョイズムを支えているのは「強~い女」だったりするそうなのだが)のメキシコにおいて、非常に特異な町だという。

フチタンの母系社会はサポテカ族の風習が現代でも色濃く残っていることによるものだが、スペインの侵攻によりほとんど消滅してしまったメキシコのネイティヴ・アメリカンの風習がここまで強く根づいている町は珍しいのだそうだ。たぶん、広大な厳しい草原に囲まれ、隔絶されたような土地であるため、放っておかれたのだろう。放っておかれたところで、海や山河もあるこの町は、ほとんど外貨を獲得しなくても経済が成り立っていた。それでいて資源が必要以上に豊富でなかったため、豊かさに目をつけられ侵略されることもなかった。



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商売をしているのは、ほとんど女性。

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まさに、ネイティヴ・アメリカン母ちゃん。

ネイティヴ・アメリカンにはさまざまな部族があり、ゲイを嫌悪する部族もあれば、同性間の性行為が習慣だった部族もあった。ゲイやトランスセクシャルの人々にシャーマン的な役割を持たせた部族もあったそうだ(ゲイやトランスセクシャルに向ける感情は、その部族に伝わる神話によって違ったようだ)。

スペインによる侵攻・虐殺・奴隷化・カトリックへの教化で、同性愛もその行為も激しく弾圧され、ほとんど淘汰されてしまったが、前述のような経緯でフチタンの同性愛への受容的な風習は生き残ったわけである。


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フチタンでは、仕事は完全分業。刺繍や縫製を仕事とする女性は、いっさい料理をせず料理専門の女性から食べ物を買う。

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料理専門の女性は、料理以外は一切やらない。こうしてお金がぐるぐる動いて、経済が成り立っている。

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馬車は現役で活躍(車もいっぱいあるけど)。

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カッコイイおまわりさんがいました☆

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町の中心部であるセントロには、人がわんさかいた。広場の周りにはコメドール(食堂)が数多くひしめき、その横には大きなメルカド(市場)が開かれていて 、老若男女が行き交う賑やかな場所である。


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コメドールがひしめく場所。人が、わんさといた。清潔ではありませんでした。

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メキシコならどこでも食べられる、「メキシコ定食」みたいな料理を食べました。牛肉が堅かったけど、まぁ、食える味。30ペソ(370円ぐらい)。

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衣食品や雑貨などがそろう、メルカド(市場)。フチタン銀座というカンジでした。

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チキンの煮物がウマくて、超ラブでやんした。トマト味で辛いのに、イタリアンではないカンジ。10ペソ(120円ぐらい)。


観光客慣れしているオアハカの人々と違って、フチタンの人々は話しかけてきたり近寄ってきたりはしない。、見慣れない東洋人を物珍しく見つめるだけだ。しかし、笑顔で「オラ(やぁ)!」と挨拶すると、たいていの人は多少緊張した面持ちではあるが微笑んで、「オラ」と言葉を返してくれた。基本的には人なつこいのだが、日本と日本人に関しての情報などまるでないので、ちょっと怖がっているのだ。よし、それならば、こちらから近寄っていって「オラ!オラ!」責めにしてやれば(オラオラ系じゃないけど)、むこうもナントカ応えてくれるだろうと、セントロの真ん中にある広場にずんずんと足を踏み入れるワタクシでありました(アホの強みです)。

広場にも人はうじゃうじゃいたが、ただ座ってるだけとか、ただブラブラ歩いているだけとか、ただ喋っているだけとか、ほとんどの人がここに何をしに来ているんだかわからない。「この人たち、なんで広場にいるんだろう。しかも、こんなにたくさん。」怪しくも心細い気持ちになる。

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老若男女を問わず沢山の人が広場にいたが、うろついているのはやはり男性が多い。女性は働いているから?

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ジュースは、袋入りで売られています(タイでもそうだった)。ハマイカという花のジュースで、甘酸っぱくておいしかったス!5ペソ(60円ぐらい)。

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ロールケーキなんだけど、ジャム入り甘食というカンジの味でした。5ペソ(60円ぐらい)。

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なめらかプリンではなく、穴ぼこだらけのプリン。これはこれでウマイのだが、日本ではもう、こういうプリンは食べられない。懐かしい味だった。5ペソ(60円ぐらい)。


パチパチ写真を撮りまくっていると、いつの間にか広場中の人たちの目が、僕のカメラに注がれているのに気がついた。町の中で大勢の見も知らぬ人々から一斉に注目を浴びた経験のある人は、少ないだろう。正直言って、怖かった。
僕がフチタンに持って行ったカメラは、(その当時は)日本でもまだ目新しい部類に入る機種だった。首都メキシコシティであっても「カメラを見せてくれ」と見知らぬ人から声をかけられたぐらいだったのだから、フチタンの人々にとっては相当に目を引くものだったに違いない。日本で、いくら目新しいカメラを持っていたとしても、これほど熱く注目されることはないだろう。すれ違う人々が、みんな僕の手元を見つめていく。「フォト!フォト!」とひやかしてくるオバサンもいた。僕がカメラを構えると、「オッ、撮るのか!」と、そこにいるみんなも身構える。言葉は全然わからないが、目線や仕草で、間違いなく人々が僕のカメラが広場にいる人々の話題になっていることがわかった。

そんな様子を見ると、フチタンの人々の多くは、欲しいモノ(言い換えれば持っていないモノ)はいつもいっぱいあって、それを手に入れることでシンプルに幸福を感じていける。。。確かに裕福ではないけれど、そのぶんシンプル。そういうカンジがした。

僕の幼少期の日本は高度成長期の真っ只中で、その頃の日本人もモノを手に入れることで、幸福を感じることができた。人々はモノを手に入れるために必死で働いていた。大人にも、子供だった僕にも、欲しいモノはたくさんあったのだ。でも、いまという時代を迎え大人になり、買い物に出かけても欲しいモノが何もなくて、結局手ぶらで帰ってくることが珍しくなくなった。金がなくて手ぶらで帰るのと、あきらかに「むなしさ」の種類が違う。書店やコンビニの雑誌売り場を覗いても、欲しい情報がなくて何も買わないことが多い。「自分は何にも興味がないのか」と、愕然とすることすらある。

フチタンの人々の顔を見ていると、僕が子供だった頃に住んでいた下町の人々の顔と雰囲気が似ている。
町の在り方がその町の人の顔を作っていくのなら、持っていないモノはいっぱいあるけれどシンプルな人づきあいはたくさんあって、人々はつながりあって生き、子供たちは町のみんなの子供であった昔の下町と、このフチタンの町は似ているのかもしれない。

ちょっと郷愁をそそられてしまったワタクシでありましたが、それでも「昔の日本はよかった」なんて思ったワケではない。日本はすでに、「欲しいものが山ほどあった時代」から、「必要なモノはひととおりゲットして、このうえ自分は何が欲しいのか自分のアタマで考える」時代にシフトしているというだけだ。モノを手に入れることが幸福だった時代から、モノを使って何をするのかを自分で決め幸福を創造していく時代に移っただけなのだ。それは、自国の通貨が世界の中でちゃんと力を持ったという証であり、ネガティヴな変化では全然ない。自国の通貨に力があるからこそ、僕はいま、ここでこうして自分が欲しいと思う情報を得ていくことができるのである。時代が進んでいくのは、基本的には、いいことなのだ。
(昔の日本には、ゲイシーンだってなかったんだからねー)

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フチタンでは、わんこたちはつながれていない。

ゲイ嫌いのいない街をさがして-10
フチタンのわんこは人間に従属するのではなく、独自の世界を生きている。

ゲイ嫌いのいない街をさがして-11
心なしか、威厳があってカッコイイわんこたち。