ありがとうの花束を | ジュチリアス式日記 超 新装開店Ver and deadstock

もうすぐ母の日です。

皆さんはお母様にプレゼントを贈りますか?


ワタシは先ほど近所の花屋さんで花の鉢植えを2つ購入して、郵送してもらう手続きをしてきました。


一つは実家にいる母へ。


もう一つはワタシが2歳くらいの時両親の離婚で離ればなれになった、実母へ。


ワタシが実母の存在を知ったのは15歳くらいの時でした。

育てて頂いていた頃の記憶は全くありません。


父が離婚し、そしてすぐに再婚した義母をずっと実の母と思い込んでいました。


事実を知ってからもその気持ちは変わりませんが。



実母の存在を知ったきっかけですが、15歳くらいの頃ワタシは反抗期のど真ん中にいました。

それ以前は勉強や部活や将来の夢である漫画家になるための習作に一生懸命なマジメな子供だったのが、日に日に素行が悪化してゆきました。


クラスの中でも2~3番だった学業の成績も1年くらいの間に中間くらいまで落ち込みました。

漫画を描くのもやめてしまいました。


父母との口論も毎晩のようにありました。

そんな折、原因は忘れましたが父と取っ組み合いの乱闘になりました。

乱闘が少し落ち着いた時、興奮が冷めない様子の父がワタシに言いました。


「お母さんが可哀相じゃないのか?実の母ではないのにお前を一生懸命育ててくれているお母さんに悪いと思わないのか?」


ワタシは

「ハァァ?何それ?何のこと?」

と真顔で聞き返しました。


その時の気持ちというか心境は今でもよく覚えています。

ワタシが実母の存在を知ったきっかけです。


父はワタシが実母のこと、その後の再婚などのことを全てワタシが記憶していると勘違いしていたようです。


父はマヌケでした。

ワタシの反抗心の炎に大量の油を注ぐ結果となりました。


その後のワタシの不良人生は今回は割愛させて頂きますが、実母はワタシにとってファンタジーのような存在としてワタシの心の一部となりました。


15歳以降も父とは不仲が続き、実母のことを訪ねたりはできませんでした。


そして時は流れました。


ワタシが29歳で結婚した際、父と実母の結婚の仲人を務められた父の元上司の奥様から、実母が書き記したワタシの育児日記が郵送されました。

離婚の際、預けられたそうです。


その日記を読み、ファンタジーだった実母の存在が少しリアルになりました。

でも実母の近況などは容易には分からないだろうなと勝手に決めつけてました。


心の片隅で実母のことを気にしつつ、さらに時は流れました。

ワタシは実母の近況を知るのには、探偵社などに依頼して捜査費用は30万円くらいかかるのだろうなと、根拠のない憶測をしていました。


でもそのための捜査費用はすぐに捻出できなくても、手がかりくらいは探偵さんに提出できるように戸籍関連の書類を自分で収集しようと思い立ちました。


1年半くらい前のある日。


ワタシは仕事の移動中、戸籍のある世田谷区役所に立ち寄りました。

そして事情を係の女性に伝え、書類を発行して頂きました。


ワタシは驚きました。


実母の現住所が15分くらいで判明してしまったのです。世田谷区の隣、大田区でした。

再婚はしていなくて、父と結婚した際の本籍地も書き換えていませんでした。

書類の申請費用は600円くらいでした。


次の仕事のアポの時間まで余裕があったので、少し迷いましたが実母の住まいに行ってみました。


築30年以上の木造モルタルアパート。

洗濯機は廊下に置かれていました。

表札には実母の苗字。


さすがにドアをノックする勇気はなく、なんとも言えない気持ちを抱え、次の仕事先に向かいました。


住所が分かったので、手紙を書こうと思いました。


でも普段は饒舌で冗談ばかり言っているワタシですが、言葉に詰まりました。

自分が何を伝えたいか、そこから分からない。

結局、手紙は書けませんでした。


そして今日。

カーネーションの鉢植えにそえた名刺くらいの大きさのメッセージカードに

たった一言


ありがとう


と書き、贈りました。


驚くと思います。

喜んでもらえたらいいなと思ってます。


新手の詐欺だと思われたらとても残念ですが。



母子