トヨタ自動車実質上の創業者の死 | JTT海外展開のブログ

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トヨタ自動車の豊田(とよだ)英二元会長が亡くなった。100歳という天寿を全うした。トヨタ自動車の創業者は、佐吉氏の長男喜一郎元社長であるが、本当の創業者であり、実力者は英二氏であった。


喜一郎元社長は、「House of Toyota」や他の出版物でも書かれているが、義兄の豊田利三郎氏(入り婿)と対立した。自動織機で儲けた金を湯水のごとく、自動車開発に使ったからだ。さらに戦後の労働紛争もあり、酒の飲み過ぎで、乗用車販売がうまくいく前に、失意の中で死亡している。


労使紛争の最中、住友銀行から貸しはがしにあい、破産しかけて、他の金融機関からの圧力で、トヨタ自動車は、トヨタ自動車販売、トヨタ自動車工業の2社に分割。自販は神谷正太郎氏、自工は石田退三氏が社長になり、それぞれ再生して、国内に地盤を築いていった。この両名がいなかったら、トヨタも今のような隆盛はなかったはずである。


一方でライバルであった日産自動車も、創業者鮎川義介氏の公職追放や、収益源の満州の利権を失い、戦後は労働争議で生産ができず、大混乱していた。


喜一郎氏といつもつるんでいた豊田英二氏は、喜一郎氏の死後、自工で石田退三社長の薫陶を受け、喜一郎氏の長男豊田正一郎名誉会長は、自販で神谷社長の販売教育を受けて、経営者として成長していった。


石田氏は利三郎氏の従弟であり、利三郎氏の長兄児玉一造氏は、トーメンの創業者である。この親戚関係が数年前破たんしかけたトーメンを豊田通商が救済合併する裏付けとなっている。


豊田利三郎氏、石田退三氏は伴に養子である。この優秀な養子たちと、日本GM副支配人だった神谷氏が力を合わせ、トヨタ自動織機時代から地盤があった愛知県で集中的に自動車生産に励み、世界のトヨタが誕生している。トヨタの本社のある挙母市は、のちに豊田市と改名した。


販売の神様といわれた神谷氏は、地域ディーラーを作る時、地域の有力者を巻き込み、必ずトヨタの販売店を作っていった。そのため神戸では、元ダイエーの故中内功氏が、トヨタの販売店の社長であった。ダイエー全盛期に、トヨタのディーラーの社長としても、中内氏は出ていたので、不思議に感じたことがある。


ただ70ー80年代石田・神谷両氏を指して「番頭政治と言われたトヨタも、英二氏が自工社長、章一郎氏が自販社長の時に、合併して現在のトヨタ自動車が誕生している。


豊田英二元会長は、日本の自動車産業の生き字引であった。豊田自動織機製作所自動車部の頃から自動開発に携わってきた。ほぼ初期の自動車産業から現在の世界最大の製造業になった自動車を見てきた人である。


その豊田英二氏もいよいよ逝った。珍しく「売り家と唐様でかく三代目」でなく、優秀ある豊田章男現社長が完全に引退するころまでに、自動車産業はどのようになっているのであろうか。


ノキアがMSに買われる世の中である。数年後、GMがグーグルに買収されていても、驚かない。またおかしくない時代になっている。20年後の世界なんて、まるで予測がつかない。