映画で観るヘリボーン作戦 | 戦車兵のブログ

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ヘリボーンは、ヘリコプターにより部隊を機動・展開させる戦術。

 

固定翼機によるエアボーンと対比される概念であり、空中機動作戦や水陸両用作戦、特殊作戦など様々に活用され、今やヘリボーンを含まない陸上作戦はありえないと評される。

 

 

部隊は、ヘリコプターに搭乗した状態では本来の火力を発揮できず、また特に着陸の瞬間にはヘリコプターが回避機動をとる余地が乏しくなるため、ヘリボーン戦術で最大の弱点となる。

 

このことから、事前の情報収集では任務地域にいる敵部隊の能力・位置に主眼が置かれる。

 

ベトナム戦争でのアメリカ軍は、歩兵部隊を輸送する強襲チームに先行して、まず観測ヘリコプターと攻撃ヘリコプターによる偵察チームによって捜索活動を行っていた。

 

 

またヘリコプターは対空兵器に対して脆弱であるため、搭載地点から着陸地帯への移動ルートを選定する際には、敵の対空兵器や電子戦兵器で攻撃されないことが重要となる。

 

このためには地形の活用が有効で、渓谷のような回廊地形は直接照準射撃から機体を守るためには有効だが、逆にヘリコプターの機動性を制限してしまうという欠点もある。

 

理想的には、山のような大きな地形を遮蔽物として使うことができ、しかも常に広々とした空域を通過して、狭い地形を通ることがないほうがよい。

 

 

着陸の瞬間はヘリボーン部隊がもっとも脆弱になることから、火力支援が極めて重要となる。

 

強襲用ヘリコプター自体も重武装し、また同行する攻撃ヘリコプターによる火力支援も不可欠である。

 

ベトナム戦争でのアメリカ軍のヘリボーン戦術では、偵察チームだけでなく、歩兵部隊を輸送する強襲チームにも攻撃ヘリコプターが編入されていた。

 

 

 

この場合、攻撃ヘリコプターの任務は敵部隊の撃破ではなく短時間の制圧なので、大口径の機関砲よりは、ロケット弾のように瞬間最大火力の大きな地域制圧型の兵器の方が適している。

 

ヘリコプターの攻撃態勢として最も効果があるのは急降下中のロケット発射で、機体が加速することで、ロケット弾の飛行性能と命中精度が向上する。

 

 

また友軍の砲兵や迫撃砲による支援射撃も行われるが、この場合、ヘリコプターの航路と砲兵の弾道が干渉しないように事前の計画が必要となり、また着陸地帯そのものではなくその周辺部に行われるのが通常である。

 

更にヘリボーンで展開する部隊自身も、ヘリコプターによって迫撃砲や火砲を輸送できるため、降下展開がある程度進行すると、これらによる火力支援も開始される。ベトナム戦争時のアメリカ軍は、一定規模以上の空中機動作戦では、必ず砲兵部隊を投入して火力支援を提供できるように措置していた。

 

映画「ワンス・アンド・フォーエバー」は、2002年のアメリカ映画。

 

ベトナム戦争における実話を元に制作されたベトナム戦争映画である。メル・ギブソン主演。

 

 

ベトナム戦争序盤の戦いイア・ドラン渓谷の戦いを描く。 

 

原作者の一人であるハル・ムーアは実際にこの戦いに従事した。

 

もう一人の作者であるジョー・ギャロウェイはUPIのジャーナリストだった。

 

従来描かれていないベトナム戦争初期の戦闘を題材にし、戦場で戦う兵士たちと、その兵士の帰りを待つ恋人や家族など人間の心理をアメリカ側だけでなく、ベトナム側の視点からも描写している。

 

 

1965年11月14日、米陸軍第1騎兵師団隷下の第7騎兵連隊第1大隊と大隊長のハル・ムーア中佐は南ベトナムの中央高地、イア・ドランの渓谷に降り立ち、北ベトナムのベトナム人民軍と交戦に入った。

 

しかし、圧倒的多数を誇るベトナム軍の攻撃に、ムーア達はヘリの着陸地点X-Ray(「エックス線」の意・Xを表すNATOフォネティックコード)から動けずにいた。

 

そんな中、UPIの戦地特派員ジョー・ギャロウェイは、クランドール少佐の操縦するヘリに乗り「戦争を理解するため」と、ムーア中佐のいる前線にやってくる。

 

 

イア・ドラン渓谷の戦いとは、ベトナム戦争中の1965年11月14日 - 11月18日にイア・ドラン渓谷においてアメリカ軍と北ベトナム軍との間で行われた戦闘である。

 

1965年11月14日、前日にアメリカ軍基地を襲撃した北ベトナム軍を追撃するため、アメリカ軍はカンボジア国境の近くのイア・ドラン渓谷に第7航空騎兵連隊の内、1個大隊約450名をヘリボーンで派遣する。

 

 

同日10:48、最初の部隊が現地に到着し、ヘリの着陸地点(X-レイ)を確保するが、待ち構えていた4000名近くの北ベトナム軍によって即座に全周包囲されてしまい、戦闘開始早々、兵力・地理共に絶望的な状況に陥ってしまう。

 

しかし空軍砲兵そしてUH-1のガンシップによる濃密な支援攻撃により、包囲されつつも壊滅を免れ、X-レイを防衛し、増援や補給路を確保することに成功する。

 

北ベトナム軍はアメリカ軍の砲爆撃に大きな犠牲を出しつつも昼夜を問わず攻撃を続け、一時はアメリカ軍の防衛ラインを突破するが、第7航空騎兵連隊の攻撃と航空戦力によって壊滅した。

 

 

最終的に北ベトナム軍の戦死者は1519人(負傷者数不明)に達し、アメリカ軍も約1000人中305人が戦死し、524人が負傷した。

 

この戦闘自体はアメリカ軍の勝利と言えるが、北ベトナム軍を駆逐し、同地を占領するには至らなかった。

 

 これ以降、北ベトナム軍は物量に勝るアメリカ軍との正面的な衝突を避け、主にゲリラ戦を戦術として取るようになった。