ワルシャワ条約機構は、冷戦期の1955年、ワルシャワ条約に基づきソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。
ポーランドのワルシャワにて設立されたために「ワルシャワ」の名を冠するが、本部はソ連のモスクワであった。
「友好協力相互援助条約機構」が正式名。
西ドイツの再軍備および北大西洋条約を批准して北大西洋条約機構 (通称NATO) に加入した事態に対抗して作られた。
ロシア語での略称はОВДまたはВДと表す。
英語での略称はWTOまたはWPO、WarPac。
なお、ワルシャワ条約機構の解散後に創設された同じ略称の世界貿易機構(WTO)と混同されやすいためにTreatyではなくPactを用いたWPOの略称が多く使われる。
この同盟の第一の目的はNATOへの対抗であった。
この当時、アメリカ合衆国とソ連の間では核開発競争が盛んであった。
核ミサイルを、アメリカはトルコに、ソ連はキューバに設置し、その照準を互いの国土に向けていた。
こうした緊張によってキューバ危機 なども勃発した。
当時のソ連はアメリカを脅威と見なしておりアメリカが西欧諸国に軍事的な支援を行うことに強く反発した。
よって同じ力を保つためにワルシャワ条約機構を作り上げた。
集団的自衛権の行使を理由にハンガリー動乱やプラハの春に軍事介入するなどソ連の制限主権論を実行する役割を担った。
民主化運動を牽制する目的もあったとされるソ連史上最大の軍事演習だったザーパド81にも参加した。
なお、NATOでは加盟国間での弾薬に互換性を持たせて、軍事活動を円滑化させる目的で弾薬の共通規格化(いわゆるNATO弾の制定)が行われたが、ワルシャワ条約機構内では共通規格の制定が行われなかったものの、ソ連製の銃器や弾薬とそのライセンス生産品(改良点のある派生型も含めて)がデファクトスタンダードとなっていた。
しかし、法規的な制定が無いため、チェコスロバキア製のVz 61の様な、NATO加盟国製の銃器で使用されている弾薬を用いた物も公式に採用されていた。
1989年の冷戦終結に伴って東欧革命が始まり、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月にはソ連が崩壊した。
アルバニアは中ソ対立の際に中国寄りの姿勢をとり、1962年事実上脱退。
1968年、ワルシャワ条約軍のチェコスロバキア侵攻に抗議して正式に脱退した。
東ドイツは1956年加盟、1990年のドイツ再統一(より厳密には東ドイツの連邦加盟、事実上は西ドイツによる東ドイツ編入)に伴い、旧東ドイツ区域も北大西洋条約機構 (NATO) の適用領域になる。
旧ソ連(バルト三国を除く)以外の旧加盟国は、2009年までに全てNATOに加盟した。
また、2007年までに旧ソ連(バルト三国を除く)とアルバニアを除く旧加盟国が欧州連合 (EU) に加盟した。