11月23日は亡くなった友人の誕生日である。
今日はお供え物のお菓子を買ってお供えする。
亡くなった人を偲ぶといろんなことを思い出す。
もう何年も前のことだが生前骨転移で苦しんでいた友人が「呉へ行ってみたい」と言うので旅行に行ったことがあった。
海軍好きであった友人は海なし県の出身、呉へ行きたいというのは私も同じでこの機会を逃せば一生呉へは行けないと思い一緒に行くことにした。
車椅子を押しての旅行であったが呉や江田島は旧帝国海軍から海上自衛隊と続く歴史ある街でいろいろ周ったのは良い思い出であった・・・・。
あのことがなければね。
あの日は早朝、から広島県内を周る予定で信号を渡っていたら新聞配達の原付によりにもよって誰もいない見通しの良い交差点でわざとぶつけたのか?と思ったくらいゆっくり杖を突いて横断歩道を歩いていた友人にぶつかった。
私の目の前でだ。
骨転移で骨が穴だらけになっていた・・・・そんな状態でぶつけられたら・・・。
友人はかなり飛ばされ衣服がずり剥けて擦過傷が酷かった。
もう暗澹たる気持ちになった・・・・。
救急車は着たがなんと原付のおっさんをさっさと乗せて去って行った。
ぶつけられた友人は癌患者ということもあり、救急車の中で受け入れてくれる病院がなく待たされていた。
そこへ警察官が来た。
私が北海道から来たと告げると「私も陸上自衛官として北海道で勤務したことがあります」と言うではないか!
「私も元陸上自衛官です、失礼ですがどちらの部隊におられたのですか?」と訊ねると・・・「第〇〇戦車連隊です」と答えた。
「え!?私は第〇×戦車連隊に居ました、戦車乗員ですか?」と聞くと「はい乗員です」と答えた。
呉の街で海上自衛官ならたくさんいるだろうけれど、遠く北海道の戦車部隊に勤務していた戦車乗りに会うとは・・・・。
旅行中の事故で心細い気分と不安の中で戦車乗りに会っただけでなんとも士気が上がった。
「仲間ですね」と言うと「はい」と答えた。
警察官はちょっと変わった名前であったが、たいぶ経ってから〇〇戦車連隊の同期に会った時彼のことを聴いて見た。
「おお、知ってるよ俺の教え子だ」という。
戦車の世界は狭いのである。
戦車乗りはどこかで繋がっている。
友人は強い痛み止めを服用していたせすか傷の見た目は酷かったが旅行は続けられた。
原付のおっさんは骨折していたそうだ。
生前の友人を偲びつつ今日は過そうと思う。