映画で観る空挺降下 | 戦車兵のブログ

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第二次世界大戦中のマーケットガーデン作戦を描いた「遠すぎた橋」。

 

空挺作戦が失敗した戦闘でもある。

 

遠すぎた橋』は、1977年に公開されたイギリス・アメリカ合衆国合作の戦争映画。

 

第二次世界大戦後期に行われた連合軍の空挺作戦であるマーケット・ガーデン作戦を題材にしている。

 

 

 

ノルマンディー上陸作戦から3ヶ月後の1944年9月、潰走するドイツ軍を追撃していた連合国軍の補給線は、600キロにも伸びきってしまった。

 

連合国軍は戦力を二分し、ジョージ・S・パットン中将率いるアメリカ第3軍は南方ルートで、バーナード・モントゴメリー元帥率いるイギリス第21軍は北方ルートで進軍していたため、どちらの補給を優先するかの問題も浮上していた。

 

 

シチリア上陸作戦以来、パットンに強いライバル心を抱いていたモントゴメリーは、後の歴史家に彼最大の汚点と言われた「マーケット・ガーデン作戦」を立案、連合国軍最高司令官アイゼンハワー大将を説得する。

 

彼は政治的配慮から、結局この無謀な作戦を承認する事となる。

 

 

この作戦は、3個空挺師団(英第1、米82、米101)と1個空挺旅団(ポーランド第1)が敵中深く降下し(マーケット作戦)、ベルギー・オランダ間の5つの橋(Oversteek、Waalbrug、その他に移動式Bailey bridge)を占領、橋頭堡を築くことで機甲軍団(英第30)が駆け抜けて(ガーデン作戦)、一気にライン河を渡りオランダを解放。

 

ドイツの喉元にクサビを打ち込んでベルリンに侵攻し、クリスマスまでには戦争を終らせるという思惑だった。 

 

連合軍は、天候や情報の錯綜に苦しめられながらも、第3の橋の占領まで成功する。

 

しかし、第4の橋の攻略の頃から、作戦の無謀さが露呈し始め、戦闘は悲惨さを増していく。

 

 

空挺降下のシーンでは、大戦当時の輸送機(C-47)より、オランダ陸軍空挺部隊が当時の英米軍空挺兵に扮して大規模な空挺降下を行った。

 

ただし、劇中のC-47の大編隊で背景に映るものは、ほとんどが光学合成されたものである。

 

 

マーケット・ガーデン作戦は、第二次世界大戦中の1944年9月に行われた連合国軍の作戦。 

 

連合軍がドイツ国内へ進撃する上で大きな障害となるオランダ国内の複数の河川を越えるために、空挺部隊を使用して同時に多くの橋を奪取する作戦であった。

 

またこれは、同時にオランダの港湾施設を使用可能状態にして、補給線が伸びきっていた連合軍の兵站問題を解決する上で重要な作戦でもあった。

 

 

連合軍は途中のナイメーヘンのライン橋の占領までは成功したものの、空挺降下計画の稚拙さと強引さ、補給の途絶など悪条件が重なり、損害が予想以上に拡大した。

 

作戦の最終到達点であったアーネム(アルンヘム)の最後の橋は、イギリス軍の第1空挺師団が壊滅するなどしたために確保できず、作戦は失敗に終わった。

 

ノルマンディー戦以後、負け無しの進軍を続けていた連合軍は、このつまずきによって進軍速度を大幅に落とすことになった。

 

兵站問題を強引に解決するための性急な作戦だった上に、空挺降下地点であるアルンヘム周辺に、ドイツ軍の有力な実戦部隊である第9SS装甲師団や第1降下猟兵軍などが一時駐留していたという不運も重なった。

 

 

対するドイツ軍も連合軍の空挺降下を予想してはいたが、初期の混乱などから十全に対処できたとは言い難く、連合軍の不手際に助けられて辛うじて撃退できたと言える。

 

マーケット・ガーデン作戦で連合軍は最終目標こそ達成できなかったが、スヘルデ川北岸地域に至る重要なルートを確保し、スヘルデの戦いの成功に繋がった。