かつてドイツ軍には降下猟兵という緑の悪魔と恐れられた空挺部隊ががあった。
戦後、ドイツ連邦となった後もドイツ軍に空挺部隊はあった。
現代のドイツ軍空挺隊員へなるための教育隊の動画。
ドイツ第一空挺師団は、ドイツ連邦陸軍における空輸機動作戦の基幹部隊として編制された。
自隊で構成される対戦車歩兵部隊や陸軍航空隊による航空火力支援の下で空地立体の空挺作戦を行う。
師団はあらゆる地形障害を克服し独立的に行動できるように構成されていた。
1994年3月に解散し、コマンドー空中機動部隊 / 第4師団に合併され、2001年にレーゲンスブルクに師団司令部を置く(師団司令部は2010年にシュタットアレンドルフへ移駐)特殊作戦師団に引き継がれた。
特殊作戦師団には大きく四つの任務が割り当てられる。
国外での紛争など危機発生時におけるドイツ国民の避難・保護。
不正規戦に対して率先して対応し、これらから軍部隊や施設を防護する。
師団は緊急展開とその後の安定化活動において重要なインフラストラクチャーを早期確保し任務終了までこれの保持にあたる。
師団の一部部隊は捜索戦闘などの浸透作戦能力を保有し、偵察や敵性地域で火力統制などを行う。
ドイツ空挺部隊としての活動の歴史は、第1空挺師団が1993年5月に初めての国外任務に赴く。
第二次国際連合ソマリア活動の枠組みの下で軍派遣の調査のため先遣隊が編成され、第261降下猟兵大隊コマンドー中隊が警備部隊として派遣された。
1994年に第1空挺師団と第4装甲擲弾兵師団は合併されコマンドー空中機動部隊 / 第4師団となる。
当初は3個空挺旅団が隷下にあった。
1995年にコマンドー空中機動部隊 / 第4師団は国際連合保護軍およびIFORの枠組みの下でクロアチアに派遣される。
1996年に第25空挺旅団はKSKに再編成される。
1997年にSFORドイツ部隊としてサラエボに派遣される。
同年にはアルバニアでの暴動で取り残された在留ドイツ人の救出作戦(トンボ作戦)に参加している。
1998年に一部の部隊はマケドニア共和国のテトヴォに移動する。
1999年はアルバニアのAFORとコソボのKFORに参加する。
2001年4月1日に特殊作戦師団に再編成される。
2002年にはアフガニスタンでの国際治安支援部隊に派遣される。
2003年1月1日には第100空挺通信中隊が再度編成される。
同年には第4通信連隊が航空機動作戦師団に配転され、これを代替するため第9空挺通信中隊がディリンゲンに移駐し、同年10月1日に第200空挺通信中隊に改称する。
2006年7月1日に第200空挺通信中隊は特殊作戦師団の公式部隊として国際長距離偵察訓練センターに移転する。
第100軽地対空ミサイル中隊は2006年10月1日に師団隷下となり第100空挺地対空ミサイル中隊に改称し、同年12月に中隊はボルケンからゼードルフに移駐する。
2008年1月1日に特殊作戦師団通信大隊はシュタットアレンドルフで再編成される。
ディリンゲンの第100中隊とレーゲンスブルクの第200中隊は、ディリンゲンにて2008年末までに特殊作戦師団通信大隊と合併し、両中隊は解散される。
2010年10月に師団司令部はレーゲンスブルクからシュタットアレンドルフへの移駐を完了する。